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↑蓮光院の大名家屋敷門 門番のいた片番所(左側のみ) 裏側から見た大名屋敷門 拡大表示 門上部の不思議な開口部 櫻の一枚板の扉 門の梁部分 門から見た連光院本堂である、昔の大名屋敷門も、 藩主が出立の時は、このように開けられた。 拡大表示 |
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●寿福院
蓮光院について 寿福院 蓮光院の開基年代はハッキリしない、享保元年(1716)に火災により焼失、翌年堂宇は再建された。昭和14年(1939)に本堂、庫裡、山門を整備とある。この時に河原家より移築されたらしい。このあたりの詳細は不明である。昭和20年の戦災で山門以外は焼失した、昭和31年(1956)に本堂、庫裡、書院を整備して現在に至る。 何故、連光院に移築されたか不明であったが、その謎が氷解した。大田区史によれば、『連光院は池田藩の菩提寺であったことから、池田藩の大名屋敷門と思われ蓮光院に移築されたらしい。』 ただ、池田藩と言うが、池田光政が治めた岡山藩31万5000石ではなく、その支藩である鴨方藩(2万五千石)か生坂藩(1万五千石)を示すと思われるが違うと考える。しかし独立した別藩ではなく、本藩に含まれる支藩である。生坂藩の江戸藩邸を見るとわずか950坪ほどの拝領地である。近くの長崎肥前福江藩1万2600石の拝領地が2500坪と比べると大名の扱いとは思えない。(住所・大田区下丸子3ー19ー7) ●大田区史の記述を検証する。池田藩 詳細 |
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大田区の調査から「蓮光院大名屋敷門」の建築データー
『大田区の歴史的建造物』(大田区の文化財 第34集 大田区教委委員会)より |
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江戸時代の資料『青標紙』(あおびょうし)で門の形から藩の石高を調べると、2万石格の大名屋敷門であった。 ●刊行者・大野広城(幕臣小十人組・国学者 1797〜1841没) 通称・忍軒、忍之屋。 彼は『青標紙』を出したため、幕府に睨まれ天保11年(1840)に九鬼式部少輔の丹波国綾部藩にお預けとなり、同年9月に死亡した、一説には境遇に悲観した憤死と言われる。この本の内容は、大正時代に復刻刊行された『江戸叢書』によって全容を知ることが出来る。また「青標紙」原本は国立国会図書館に所蔵・デジタル公開されている。(右写真は国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の該当ページである) |
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●『青標紙』から大名家石高を推理する。
右上の青標紙イラストを見てほしい、「入母屋桟瓦葺、両側に番所、両側の潜り戸は片開き」の大名屋敷門である。写真と比べると蓮光院の門は、5万石以下の大名家屋敷門であると確認できる。また、片番所なので石高も1〜2万石の小大名である事が推定される。 文中の説明にあるように、国持ち大名の支藩もこの定めに入る。毛利藩支藩の長府藩5万石もこの定めに従って長門門であるが、番所は右側のみである。ここにも同じ外様でも違いが付けられている。 佐伯藩は2万石なので左番所だけである。 ●また『青標紙』(上記写真)には、『右国(持)家の長屋三間梁、万石以上長屋二間半梁、万石以下長屋二間梁の事。但し、表門に家々之紋附る事。国家併に定鑑間・柳間・交代寄合抔に限る。』の記述もある。本の発行部数は300部ぐらいの少部数であった。本(写真)のタイトルは併設タイトルの「心得艸」(こころえぐさ)である。(国会図書館にあり) 小大名家屋敷門に定紋を附けることもあったようだが、現存する大名屋敷門とその資料が少ないため「家紋」の詳細は分からない。専門家によれば「大名屋敷に紋は付けない事が一般的である」と言う。 また、大名屋敷門の様式規定は、貞享年中(1685)には、イラストのように規定された。『また表門に家紋を付けることが出来るのは、国持大名か、帝鑑柳間交代寄合の家格に限られた』(『江戸と江戸城』内藤 昌著 SD選書 鹿島出版研究所 昭和41年2月28日刊より))、この規定は『青標紙』に受け継がれた。(2014年4月) ●青標紙の文章によれば、藩の家紋を付けることが出来たのは国持大名、帝鑑の間の大名、柳間の大名、及び交代寄合に限ると規定されていた。(参照)『江戸叢書書』12巻、巻の2 江戸叢書刊行会 大正5年(1916)から大正6年(1917)刊、 この本に『青標紙』(天保11年)の原文が掲載されている。(国立国会図書館デジタル化資料所蔵) ●青標紙について…… |
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●青標紙によれば、大田区蓮光寺の大名屋敷門は、外様大名の1万〜2万石の藩であることが明確である。 |
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