1.1〜2の場合、風流な庭園を造成し、趣のある建物を建設したので、表門として武骨な門(長屋門)が建てられた可能性は低い。
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2.4〜6の場合、経費削減のため、表門は簡素な構造であったと考えられる。簡素な順に塀重門、冠木門、腕木門、棟門、
薬医門の何れかの型式であったと考えられる。 |
3.6の場合、長屋門であった可能性は考えられるが、簡素な門もしくは、表門を含めた屋敷外周の長屋全体を土蔵作り(総塗込め造りの耐火仕様)にした可能性が考えられる。 |
4.小大名は経済的に余力がなかったので、建設コストの高い長屋門を下屋敷に建てた可能性は、非常に低い。 |
5.江戸下屋敷は基本的に江戸の郊外に立地していたため、威厳や格式を示す必要がなく、余計な経費や労力をかけなかった傾向にある。但し、上記の1〜2は例外である。 |
6.家格の高い国持大名に限定して考察すると、江戸の中心部に近い場所にあった屋敷については、下屋敷であっても門構えが長屋門であった可能性は考えられる。
蓮光院の山門の梁間は三間なので、国持大名の中屋敷もしくは下屋敷の表門であった可能性が考えられる。 |