芝増上寺の錦絵、今はない増上寺東照宮
芝増上寺にあった有章院霊廟の錦絵(明治時代)
「東京名所 芝御霊屋」画・豊原周延 東京都立図書館所蔵 明治の頃は東京名所として有名であった。左写真
「千代田之御表 芝増上寺初御成ノ図」画・豊原国延 三枚揃 明治30年(1897)メトロポリタン美術館所蔵
豊原国周(とよはらくにちか)、明治天保9年(1838)〜大正元年(1912)没、本名・橋本、通称・作太郎。揚州国延と号する。幕末の文久年より明治40年頃まで、45年の長きにわたり画を描く。特に三枚続きの風俗画を得意し、明治28年(1895)から明治30年(1897)にかけて 、千代田之表(115枚)と千代田之大奥(107枚)を描く。当時の人たちが分からなくなった江戸時代の風俗を描き、大評判となる。
  上の浮世絵は、七代将軍徳川・徳川家継・有章院の霊廟を、始めて訪れる八代将軍吉宗を描いた三枚続きの浮世絵である。この有章院霊廟惣門や他の霊廟は東京名所と親しまれたが、終戦間近の昭和20年(1845)に爆撃により消失した。日光東照宮のプロトタイプとなる建物は、その壮麗さで人気の東京名所であった。

〈台徳院の古写真〉
写真は三代家光の頃より、増上寺馬込領が御霊料(年貢)を納めた台徳院古写真である。撮影したのはフェリーチェ・ベアト(1825ー1908)である。明治元年(1868)から2年(1870)頃に撮影されたらしい。

「台徳院殿霊廟模型」について

『展示の中心となるのは、英国ロイヤル・コレクション所蔵の「台徳院殿霊廟模型」です。台徳院殿霊廟は二代秀忠公の御霊屋(おたまや)として、1632年(寛永9年)、三代将軍家光公によって境内南側に造営された壮大な建築群でした。徳川家霊廟の中で最も壮麗とされる日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟で、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月の戦災により焼失してしまいました。
  この模型は、今ではモノクロ写真でしか往時の姿をしのぶことができない台徳院殿霊廟の主要部分が、10分の1のスケールで製作されたものです。1910年(明治43年)ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品。博覧会終了後に英国王室へ贈呈され、ロイヤル・コレクションの一つとなり、英国にて大切に保管されてきました。』(増上寺ホームページより)


〈増上寺 主な参考資料〉
『増上寺史』村上博了著 大本山増上寺刊 昭和49年(1947)
『増上寺史料集 第八巻』大本山増上寺発行 増上寺史料編纂所 続群書類従完成会発売
 昭和59年(1957)   
・寺領地支配の古文噌書記載
『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』伊坂道子著 境内研究事務局 2003年
『江戸近郊農村と地方巧者』村上 直著 (有)大河書房 2004年
『大田区史 中巻』大田区発行 編者 新倉善之 平成4年
『大田区地図集成』大田区郷土博物館 編集・発行 平成2年

『江戸の高利貸ー旗本・御家人と札差』北原進著 吉川弘文館2008年
『大江戸お寺繁盛記』安藤優一郎 著 平凡社刊 2009年刊 他の参考資料
 

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