|
|||||||||
●第二京浜国道の馬込坂(写真上) 東海道新幹線歩道陸橋の上から見たところ、左は臼田坂からの嶺道(田無街道)。突き当たりに馬込小学校の校舎がみえる。その前は馬込八幡神社と長遠寺、その横に、昔は馬込小学校にあった時計台がある。 第二京浜国道左車線、ほぼ中央あたり左が長遠寺の裏手。長い坂を下りたきったところが西馬込、写真右の突き当たり付近が池上本門寺裏門付近、約1.5から2キロに渡る直線区間である。 |
|||||||||
〈第二京浜国道の歴史・詳細
〉 |
|||||||||
●写真上が、長遠寺の墓地裏手、第二京浜国道建設で台地斜面が削り取られていて、高い壁となっている。台地の斜面部分を削り、その土砂を谷に投げ入れたのではないか。大田区でもこの近辺が一番地形が変わったところである。当時作られたマンホール(右)は、現在も見ることの出来る。 |
|||||||||
●馬込坂上から川崎・横浜方。建設当時は右側に谷があり草地が広がっていた。 |
|||||||||
●写真は、五反田の桐ヶ谷へ向かう交差点付近から見た五反田方向、左側に見える煙突は星製薬工場のもの、現在は五反田TOCとなっている。撮影は、昭和28年(1953)で戦後の雰囲気がする。戦後に植えられたらしい植木がある、現在はない。馬込坂もこのように見えたに相違ない | |||||||||
|
|||||||||
●「新京濱(36号)国道新設工事」昭和13年2月号(14巻2号) 内務省横濱土木出張所所長 春木節朗 川崎市側は、『川崎市元木町64番地に事務所を置き横浜市神奈川区、同鶴見区、川崎市内に3工場を設け施工するものである。既に土地買収、物件移転の大半を完了し、溝橋工事も着々進めつつある。橋梁の主なるものは7箇所あるが橋梁工事は昭和13年度から本格的に施工する想定である。』とある。東京側の資料は見当たらない、戦災で失われたのだろうか。 『 第二京浜国道と鶴見めがね橋物語』サトウマコト編著(株)230クラブ発行 2002年刊 |
|||||||||
「新京濱(36号)国道新設工事」川崎市小向地区、 「新京濱(36号)国道新設工事」 鶴見区新生安橋(めがね橋) 『第二京浜国道と鶴見めがね橋物語』
第二京浜国道について総合的に取り上げた唯一の単行本。資料や写真が数多く取り上げられている、残念な事に筆者の住む鶴見が中心で大田区馬込の記述がない。 『 第二京浜国道と鶴見めがね橋物語』 サトウマコト編著(株)230クラブ発行 2002年刊 |
|||||||||
目次扉に戻る 馬込地区 | |||||||||