●八幡神社について……
江戸時代
馬込村の名主高山幸右衛門が荒廃した神社を再興したと言われている。また、別の説では建久5年(1194)に渡辺対馬守正久が男山八幡宮を勧請したのが始まりだと言うがはっきりしない。明治の神仏分離により、別当である長遠寺より社地をはっきりさせるため境界に塀を造った。およそ430坪が分離されたと古文書(明治2年)にある。(大田区史資料)
●江戸名所図絵には、梶原氏累代の鎮守であると記載あり。祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと)、応神天皇である。伝承に寄れば、八幡様と隣の長遠寺あたりの領域は安土桃山時代頃には「梶原三河守」の屋敷跡(馬込城)であるという。台地下には馬込九十九谷の地形を利用し空堀があった。写真は稲荷社の碑2007.10.09更新
●棟門がある神社はあまり多くない、古材の記名によれば建築は明治4年(1871)であるらしい。昔の写真(明治34年頃)を見ると、注連縄(しめなわ)は鳥居に飾られていた。