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![]() ●奥絵師狩野四家の系図 日光東照宮寛永造替における狩野派 |
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●ー01、狩野探幽(かのうたんゆう)墓、絵師(左写真) ●ー02、狩野考信(かのうたかのぶ)墓、絵師、浜町狩野家 ●ー03、狩野養信(かのうおさのぶ)墓、絵師 ●ー04、英一蝶(はなぶさいっちょう)墓、絵師 ●ー05、鍵屋(かぎや)墓、花火師 ●ー06、幸田露伴(こうだろはん)墓、文学者 ●ー07、松本幸四郎(まつもとこうしろう)墓、歌舞伎役者7代目 ●ー08、花柳章太郎(はなやぎしょうたろう)墓、新派俳優 ●ー09、溝口健二(みぞぐちけんじ)墓、映画監督 ●ー10、市川雷蔵(いちかわらいぞう)墓、映画俳優(墓銘太田) 撤去 ●ー11、栗島すみ子(くりしますみこ)墓、映画女優 ●ー12、永田雅一(ながたまさいち)墓、映画会社 ●ー13、星亨(ほしとおる)墓、政治家 ●ー14、大野伴睦(おおのばんぼく)墓、政治家 ●ー15、児玉誉士夫(こだまよしお)墓、実業家 ●ー16、力道山(りきどうざん)墓、プロレスラー ●ー24、片岡仁左衛門(かたおかにざえもん)墓、歌舞伎役者3代目 ●ー25、狛犬が護る墓 ●−26 、大窪詩佛と小川泰堂の墓 顕彰碑 江戸文化文政頃の漢詩人 |
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●ー17、紀伊徳川家墓域 |
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![]() 裏側の道から宝塔へ降りる坂道の途中にある小さな墓である。このあたりには墓地整理によって集められた墓が密集している。紀州徳川家墓域が有るところであるから、この小さな墓石も紀州藩に関連する武士のものであろう。よく見ると娘であろう子供の墓であろう、せめて旅立つ娘が天国にゆけるように祈った気持ちが伝わる墓である。僅か50センチほどの大きさでありながら手を合わせる姿の彫りが見事である。文政2年(1819年) |
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![]() 『藝文家墓所誌 東京美術家墓所誌続編』結城素明著(株)學風書院発行 昭和28年(1953)刊 458ページ、結城素明氏が喜寿を迎えた記念出版である。「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵。『東京美術家墓所考』昭和6年、『東京美術家墓所誌』昭和11年がある. ●結城素明氏について…… 氏は木挽町狩野家の十代目勝川雅信(ただのぶ)の門下である。橋本雅邦、狩野芳崖、木村立獄も同じ門下である。参照『原色日本の美術 第十七巻 浮世絵』 小学館 昭和43年刊 |
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●下の地図は参考のために作りました、 節度を持ったお墓参りをしてください。 ![]() 拡大表示 ■江戸時代の藩を知るためのHP |
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