大堂を望む五重塔横、肥後熊本五十四万石 細川家の宝塔

墓写真
三代光尚の側室「清高院日圓大姉」、宝永7年(1710)逝去(四代綱利生母)。写真右側の宝塔。 真ん中の宝塔は熊本新田藩初代細川宣紀側室「高正院妙泉日流大姉」(五代宣紀生母)、享保6年(1721)逝去のもの、明治時代に移築されたものである。
肥後熊本藩藩主・細川重賢と藩御絵師 狩野朴仙について

墓の調査 (2005年)
 2005年の五重塔(重要文化財)保存改修に伴い周辺簿域の位置を移動するため、墓の調査が行われた。清高院日圓大姉の墓からは優れた蒔絵技法の料紙箱や身の回りの品物が発見された。墓地の周溝や門柱あとなども当時の墓を復元する重要な資料となった。調査は立正大学前学長坂詰秀一氏を中心に「近世墓所調査団」が行った。調査報告は池上本門寺で発売されており、簡単なパンフレットは霊宝殿案内所でもらえる。
二基の宝篋印塔奥には、左写真のように数多く細川家関連の宝塔や墓碑、層塔が集められている。時代の流れから継承者不明の墓地や宝塔類は一カ所に集められている。