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●溝口健二について…… 1898年(明治)東京浅草生まれ、1956年(昭和31年)8月24日(満58才)で死去。監督生活は34年わたり90本の映画を撮ったと言われるが、30本しか残されていない。 1920年(大正9年)、監督助手として日活向島撮影所に入社する。1923年(大正12年)24才、『愛に甦る日』で監督デビューを飾る。 ● 彼独特の美意識とカメラアングルで構成される映画は、難解な芸術性を廃した娯楽性を持つ、彼が描いたのは我々にも理解できる「日本の美」であった。日本より海外の評価が高い。 1953年大映専属となり宮川一夫カメラマンという才能を得て独特の映像美を創り上げる。 ●1952年(昭和27年)『西鶴一代女』でヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞する、 1953年(昭和28年)に『雨月物語』ヴェネチア映画祭銀獅子賞を受賞。 1954年(昭和29年)『山椒太夫』で再びヴェネチア映画祭銀獅子賞を受賞、三年連続でヴェネチア映画祭受賞という偉業を成し遂げて、世界中に溝口の名を知らしめた。特にヨーロッパの若い監督に多大な影響を与えた。 池上本門寺有名人の墓目次に戻る |