元和元年(1615)、本阿弥光悦が徳川家康より拝領した鷹峯の芸術村から始まる。
《日蓮と彼を信じた芸術家達・詳細》

1ー
世界が認めた天才、ただ一人の日本人、浮世絵師・ 世界が認めた浮世絵師・
 葛飾北斎・詳細
  北斎仮宅之図

 
2ー江戸の人気浮世絵師、猫好き反骨の歌川国芳の作品 布教の浮世絵・高祖御一代略図、

2-1巨匠・横山大観が描く格調高い「日蓮上人」の一幅

 
3ー幕末の彰義隊を描き残酷絵と呼ばれ、叉静謐な月を描く「月百姿」シリーズなどで知られる、明治期最後の浮世絵師 月岡芳年

4ー京都より始まる狩野派・狩野永徳の作品
後を継いだ 狩野探幽江戸狩野派・狩野探幽ほか一門は池上本門寺に眠る。

5ー長谷川等伯は狩野永徳と同じ時代を生きた画家である。永徳と共に秀吉の聚楽第の障屏画を描く。今で言うライバルである。長谷川等伯・詳細
6ー本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)は徳川家康より洛北の鷹峯(鷹ヶ峯)の地を拝領した。広さは、東西360メートル、南北800メートルでそこに本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住した。50以上の家屋を連ね、尾形光琳の祖父も村で指導にあたったと言われる光悦村である。これは家康独特の懐柔策かもしれない。
本阿弥光悦・詳細   写真「祖師像」妙覚寺蔵 院興作
7ー俵屋宗達(生没年不明) 京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していたと考えられている。当時から評判が高く、皇室からも依頼があったという。国宝『風神雷神図』は日本人に一番知られた絵である。俵屋宗達・詳細

8ー京都御所と江戸大奥に出入りした染織家雁金屋。雁金屋の次男が尾形光琳で琳派の巨匠である。30代の後半になり、家業が傾き絵を描き始めた。 雁金屋は朝廷に入内した東福院和子から小袖などの注文を受けた、この注文が雁金屋を大きくした。雁金屋・詳細   尾形光琳 詳細
9ー英一蝶(はなぶさいっちょう)承応元年(1652)〜享保9年(1724)没
英一蝶の絵は軽やかでリズムがあるのが特長である。背景の処理も空間の処理が実に巧みである。この感覚は巻物を描くことを学んだ正当派絵師の仕事である。流れる感覚は天性のものであろう。彼は岩佐又兵衛や菱川師宣に憬れ、彼らの描く絵に憬れていたらしい。それらの影響を感じさせる絵である。英一蝶・詳細

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ー残された宮沢賢治の手帳永遠の夢想家で、法華文学を目指した天才詩人の宮沢賢治、これが基本であると思うが、従来の宮沢賢治伝では、彼が日蓮宗であったとの記述は少ないと思われる。何故か書き手の好みや、解釈が強くでる作家は宮沢賢治が一番であろう。本により、まるで違う宮沢賢治がいるようである。彼の活動は日蓮宗の教えを忠実に、言葉にしたものであると解釈されている。宮沢賢治・詳細 上の写真は、宮沢賢治の残された手帳である。
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