日蓮宗団信徒 歌川国芳が描く、日蓮上人の『高祖御一代略図』10枚
写真浮世絵 日蓮上人波題目
「高祖御一代略図・佐州流刑角田波題目」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 天保6・7年期頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 東京国立博物館蔵 
写真浮世絵 佐渡の苦行
「高祖御一代略図・佐州塚原雪中」絵・歌川国芳 天保6・7年期頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 東京国立博物館蔵 
写真浮世絵 鎌倉霊山ヶ崎雨祈
「高祖御一代略図・鎌倉霊山ヶ崎雨祈」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋  ボストン美術館蔵
写真浮世絵 相州瀧之口御難
「高祖御一代略図・相州瀧之口御難」絵・歌川国芳 天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 大英博物館所蔵
写真浮世絵 東條小松原
「高僧御一代略図・東條小松原」絵・朝櫻楼(歌川国芳)天保5・6年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 大英博物館蔵 
写真浮世絵 甲斐国石和川鵜飼亡魂化
「高僧御一代略図・甲斐国石和川鵜飼亡魂化」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 大英博物館蔵 

写真浮世絵 依智星降
「高僧御一代略図・依智星降」絵・朝櫻楼(歌川国芳)天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 立正大学臓 

写真浮世絵 小室山法論石
「高僧御一代略図・小室山法論石」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋 大英博物館蔵 

写真浮世絵 上人利益蒙古軍敗北
「高僧御一代略図・上人利益蒙古軍敗北」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋  大英博物館蔵・
東京都立図書館蔵

写真浮世絵 身延山七面神具現
「高僧御一代略図・身延山七面神示現」絵・歌川国芳 天保6・7年頃 版元・錦樹堂 伊勢屋利兵衛 江戸後期の代表的な地本問屋  大英博物館蔵・東京都立図書館蔵 


高祖御一大略図について    

上記の10点の浮世絵は、天保2年(1831)、日蓮宗五百五十周年(年忌)を記念して板行された10枚揃い錦絵である。揃いは「高祖御一代略図」と言われ、このタイトルが一般的である。当時、人気があったらしく、初摺と後摺があり何度も摺られたらしい、『このシリーズの国芳の落款の書体は二種類に分かれており、天保5〜6年に「佐州塚原雪中」を含む五図が制作され、残りの「朝桜楼」落款を含む五図はやや時間をおいて七年以降に制作されたと見られる』(参照・『国芳』岩切里子著 岩波新書 2014年刊)

初摺の落款は一勇斎国芳で日蓮の橘家紋(井桁・いけた)である。上記の
「高祖御一代略図・佐州塚原雪中」・「高祖御一代略図・佐州流刑角田波題目」・「高僧御一代略図・依智星降」・「高僧御一代略図・身延山七面神示現」・「高祖御一代略図・鎌倉霊山ヶ崎雨祈」の5種である。また佐州塚原雪中は、海の水平線がはっきりしているのが初摺(ボストン美術館蔵)である。
 
「高祖御一代略図・鎌倉霊山ヶ崎雨祈」は、『祖師が活躍した当時、干魃が襲ったため農作物は不作になり、農民にとって雨はまさに天の恵みでした。国芳の描いた祖師伝説の浮世絵をみて祖師信仰の世界に入った人も多いと聞きます。』(『江戸の法華信仰』望月真澄著(もちずきしんちょう)図書刊行会 平成27 年刊 
写真 長栄稲荷長栄稲荷詳細

画題を参考に記するー
 01.「東條小松原」文久元年(1264)に起きる。
 02.「鎌倉霊山ヶ崎雨祈」文永8年(1271)に起きる。
 03.「相州瀧之口御難」文永8年(1271)に起きる。
 04.「依智星降」、
 05.「佐州流刑角田波題目」、
 06.「佐州塚原雪中」文永8年(1271)起きる。
 07.「小室山法論石」、
 08.「甲斐国石和川鵜飼亡魂化」、
 09.「見延山七面神示現」、
 10.「上人利益蒙古軍敗北」文永11年(1274)に起きる。
(参照・立正大学)
(注)上記の絵は、所有機関によってタイトルが違っていたため、立正大学の
タイトルに合わせました。(2015.06.25)

立正大学図書館 東京国立博物館所蔵 写真


長栄稲荷 池上本門寺の山に鎮座していた神社……

  日蓮上人が佐渡に流刑される時に、身の安全を守るため随身したのが池上本門寺の長栄稲荷・長栄大威徳神である。法華経の行者の姿になり守護したという。そのため戦前は海の安全を守る神ということで大変人気があり、長栄稲荷には下町からも参拝客が絶えなかったと言われる。

絵師は奇才歌川国芳である。葛飾北斎は熱心な日蓮宗信者で、晩年はお題目を唱えながら歩くことは良く知られたことだが 、また国芳も熱心な日蓮宗団信徒であった。

佐州塚原雪中の絵は、『構図は川村文鳳の絵本から借りているものの、死人を捨てたといわれる塚原の野辺を、死者のために題目を唱えながら歩む上人の姿には、襟を正したくなるような尊源さを感じる』(『もっと知りたい 歌川国芳 生涯と作品』悳俊彦著 東京美術刊)。
 
この 浮世絵には、
初摺りと後摺があり、水平線がぼかされているのが後摺りのようだ。また国芳の年玉印 が日蓮宗の井桁橘にならい井桁で囲まれている。このシリーズは数多く版を重ねたらしく 、今回集めてみたところ右脇外の記入が数種類確認された。

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