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●近世(江戸)社寺建築装飾について |
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《多摩川河口近くの六郷神社は、源義家奥州制定の出陣で白旗を掲げた社で知られる》 |
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《御嶽神社は一山行者が、神のお告げにより此の地に開いた神社である。江戸末期 天保2年(1831)に信者の村人と共に創り上げた小祠が始まりである》 ●−2向拝の装飾や本殿壁面の彫刻は、江戸末期建築装飾を表す見事なものである。(大田区指定の文化財) 御嶽神社・詳細を見る |
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《堤方神社は池上本門寺台地はずれ、前大戦の空襲から焼失を免れたひとつである》 ●ー3この神社は忘れられているようだが、天保11年(1840)の熊野社・若宮八幡などを合祀して堤方神社となった、氏子達の浄罪が創り上げた素朴な江戸末期建築装飾の社である。堤方神社・詳細を見る |
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《元三輪厳島神社の弁天社は、現在、産業道路六郷橋付近の自性院境内に移築されている》 ●−4 牛頭天王堂(ごずてんおうどう)と名前を変えている。大田区指定の文化財となっており、江戸末期建築装飾の素晴らしい霊獣に囲まれている。建設は文久元年(1861) 元三輪厳島神社の弁天社・詳細を見る |
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《向拝柱・籠彫の犀彫刻で発見、江戸末期建築装飾の久が原東部八幡神社》 ●−5 犀の霊獣は日常空間と神聖な領域を分ける場所に配置される霊獣である。久が原東部八幡神社・詳細を見る 建設は文久2年(1862) |
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《北極星(北辰)信仰で知られる妙見堂は奇跡的に戦禍をまぬがれ、今も江戸末期建築装飾の華麗な装飾を見せてくれる。…「籠彫りの持ち送り」彫刻を持つ》 ●−6 尻尾に蓑状の長いふさふさした毛を持つ「蓑亀」が神使であり、向拝全体にイメージされている。建設は文久3年(1863) 妙見堂・詳細を見る |
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《長遠寺(別称
馬込不動)は、元禄の頃復興された。現在の本堂は文久元年(1861)に宥円が再建した》 ●ー7 一見して気づく雄大な水引虹梁は、ここが真言宗の札所だと思い起こす。当時の設計図もあり、幕末期の貴重な寺院遺構を示す。長遠寺(馬込不動)・詳細を見る (追加撮影予定) |
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《山王の大地に立つ日枝神社は、消失した前神社を惜しむ氏子達により忠実に再建された》 ●−8 昭和28年(1948)再建された神社は、18世紀江戸末期の装飾豊かな神社であった。日枝神社・詳細を見る |
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《熊野神社は馬込村中井谷の鎮守さまであった。明治18年の再建とあるが、江戸末期の神社ではないか…知られていない神社》 ●−9 屋根や壁面は修理替えられたが、雄大な水引虹梁、向拝柱、籠彫り持ち送りなどを見ると、江戸末期建築装飾の特徴を持っている。熊野神社・詳細を見る |
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《明治五年に開通した最初の鉄道に大森駅はなかった。大森駅は明治九年に造られた》 ●−10 開通から数年経過すると多摩川に架かる六郷木造鉄橋は、振動が激しく危険なため鉄橋に架け替えることにした、資金は引き続き英国ポンド借款である。明治五年、英国より百名を越える工夫がやってきた。作業の便宜のため造られたのが大森駅である。大森駅の建設・詳細を見る |
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