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●日枝神社について……… 古くは山王社と呼ばれ、延宝5年(1677)から円能寺が別当になった神社である。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)である。神社は山王台地にあり、池上道(平間街道)から南品川に向かう所にある。道は、江戸時代に東海道の間道と交差する十字路であった。 |
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↑獅子の木鼻、虹梁と向拝柱角の籠彫りの持ち送り、虹梁には水鳥の彫り物など装飾に富んでいる。これは江戸末期18世紀の特徴を表している。 | ||||||||||
籠彫りの波は「波の伊八」スタイル |
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↑江戸末期の特徴を示す海老虹梁の大きな曲がり 江戸末期の特徴である。 彫刻板 |
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この間道は江戸時代に 、婦女子など鈴ヶ森刑場を嫌う人が登る東海道からの迂回路となっていた。神社前の斜面を登ってくる古道は、線路で分断されているが、古道の雰囲気を残している。この道が大田区と品川区の境である。江戸時代以前から人の往来があった古い場所である。神社内の山王稲荷神社には、江戸時代と思われる道標が保存されていた ●道標(どうひょう・道しるべ)について 境内の山王稲荷社前には、写真の道標が置いてある。高さは70センチほどで天上部分に丸く穴がいくつかある。見たときは何か差し込んであった穴かと考えたが、よく考えると雨で穿たれた痕ではないかと気付いた。道標が立っていた場所に上から「雨のしずく」が規則正しく同じ場所に落ちたのである。七つほどの穴は長年にわたり雨に穿たれ、今のような形になった、長い間、同じ所に立っていたのだと思う。(大田区の道標) ●この道標について大田区資料があった。その場所は現在の山王小学校校門前である。造られたのは文政2年(1819)、新井宿の村人が立てた道標を兼ねた「庚申塔」である。文字については左写真説明を参照してください。 |
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写真は庚申塔、道標を兼ねている。「右なかのふ・めくろ道(目黒道)」は確認が出来る。 ●右の写真 上の写真の反対側で「左まごめ道」と確認できる。(大田区資料参照) おそらく雨だれにより 凹んだ道標頭部 ●日枝神社境内、山王稲荷社の奥に庚申塔と狸の置物がおかれている。左の庚申塔は、板碑型(形が鎌倉・室町の板碑に似ているからこのように呼ばれる)で、造立は貞享元年(1684)である。真ん中の庚申塔は、駒型(形が将棋の駒に似ている)で元禄13年(1700)のものである。狸の像は分からない。大田区山王1-6-2 JR山王口駅の近く(大井方向)
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