源頼朝の命令により造営、六郷神社の社殿と大田区最古の狛犬

六郷神社は 天喜5年(1057)、源頼義・義家親子が創建したと言われています。その後、源頼朝が建久2年(1191)に社殿を造営しました。源頼朝は手水石を、梶原景時は太鼓橋を寄進したと伝えられています。


天正19年(1591)、徳川家康は18石朱印地を寄進。六郷橋完成の折りには祝詞を捧げました。江戸時代には幕府との関わりも多く、葵紋の使用も許されています、参拝する人も多く六郷八幡宮として親しまれました。
 
明治5年(1872)の廃仏毀釈により東京府郷社に列し、明治9年(1876)に「六郷神社」と改称しました。現在の御本殿は享保4年(1719)の造営であるという。また、現在の祭神は応神天皇(誉田別命)一柱です。

上記の社伝による開創話以外にも、いくつかの伝説がある。古くは『延喜式』の神名帳に記載されている神社である。また「八幡太郎義家」の関わりもあるという説もある。どの説を取ろうと鎌倉時代以前から存在した古い神社であることは間違いない。左写真は旧東海道からの脇参道である。

江戸時代、貞享2年(1685)の造立である。奉納者は六郷中町中である。大田区内最古の狛犬であり、一番ユーモラスな狛犬でもある。次のページに狛犬の拡大写真があります

扉写真
左は社殿の扉、見方によっては近代的な
感じのする金色金具が美しい。

太鼓橋
上の写真、梶原景時の寄進という太鼓橋。
建久2年(1191
六郷橋柱の写真
六郷橋の遺構、明治7年(1874)に架けられた橋の橋脚、大正14年(1925)に鉄橋への架け替えにより移された。後ろには欄干部分の切り込みがある。
富士講碑の写真扶桑教の教祖、穴野半の歌を彫った 富士講碑


住所 東六郷3-10-18 最寄り駅は京浜急行 六郷土手駅
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