「縞揃女弁慶」シリーズ
女性に託した幕政批判とも言われる狂歌仕立て |
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●「縞揃女弁慶 武蔵野の月」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 東京国立博物館蔵 拡大表示 ●「縞揃女弁慶 勧進帳」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・衣笠房太郎 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示 |
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●「縞揃女弁慶 鬼若と鯉」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
●「縞揃女弁慶 鴨越」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
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●「縞揃女弁慶 三井寺の鐘」絵・一勇斉国芳 (歌川国芳)名主印・衣笠房太郎 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 大英博物館所蔵 拡大表示 ●「縞揃女弁慶 ときの声 堀川」絵・朝櫻樓国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 彫り・松島房次楼 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
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●「縞揃女弁慶 玉藻」絵・朝櫻樓国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 彫り・廉吉 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示 ●「縞揃女弁慶 五條の神農」絵・朝櫻樓国芳(歌川国芳) 名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 彫り・廉吉 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
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●「縞揃女弁慶 鉢植の花(衣川合戦)」絵・朝櫻樓国芳(歌川国芳) 名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 彫り・廉吉 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
●「縞揃女弁慶 安宅の関」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 天保14年から弘化4年(1843〜1847) 版元・伊場久 伊場屋久兵衛 東京国立博物館蔵 拡大表示 |
●10枚の絵には、2種類の芳桐印がある。国芳は天保15年(1844)4月以降、年玉印を使わなくなった。理由は定かではない。これ以後、芳桐印を使用する、手書きであり形は一定しない。(参考・『国芳』岩切友里子 岩波新書1506 2014年刊)
「鴨越」には見慣れない芳桐印がある(右側)。左側は一般的に押されている芳桐印である。
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●歌川国芳には、一説に天保の改革を批判したとされる三シリーズがある。
『縞揃女弁慶』(上記のシリーズ)、『大願成就有ヶ瀧縞』、『時世粧菊揃』の三シリーズであるが、まず『縞揃女弁慶』を紹介する。
三シリーズにある狂歌が、暗に幕府の批判を暗示している事は、専門家には知られたことらしい。一般的な国芳紹介本では、まず取りあげられることはない。国芳の反骨を示すシリーズ作品であると考える。
『暗喩は天保筆禍で犠牲になった為永春水(延津賀の夫)についてであり、シリーズの一部は、柳亭種彦の死を暗示していると思われる。「縞揃女弁慶」は弁慶にまつわる見立だが、シリーズのモデルには三味線をする人物を示す襟印が見られる。また、モデル女性は弁慶縞を着装し弁慶役だが、義経は何処にいるかと問われたら、筆者はこう答える。義経は国芳自身であると』(『狂歌と着物の模様のメッセージー浮世絵の女性達ー』伊藤敦子著 朱鳥社刊 2005年)。狂歌に疎い戦後生まれの私には、理解にハードルが高すぎる。まず国芳の描く江戸の女性を素直に鑑賞しよう。
●弁慶縞とは……
2色の色糸をつかい、2色の幅が同じ基盤格子で、縞の幅が1センチほどの大柄な格子模様である。名前の由来は、歌舞伎十八番「勧進帳」の弁慶の衣裳に由来している。基本の色は、白と紺、紺と茶、紺と浅黄などである。
最後の絵の弁慶縞は、弁慶縞にもう一つの格子を重ねた模様である。実際に江戸時代にこのような柄があったか、どうか定かではないが、如何にも染物屋生まれの国芳らしい着想である。江戸時代には、浮世絵が女達のファッションリーダーの役割をしたと言われている。国芳や彼の弟子達は、着物のセンスが良い。また、国芳とも仲の良かった渓斉英仙も素晴らしい妖艶な女性を描いている。
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