●絵師・喜多川歌麿の出現……(略史) ●
喜多川歌麿は『幼い頃から、町狩野であり江戸座の俳諧師でもあった鳥山石燕(1712〜1788)』について学んだらしい。安永4年(1775)に北川豊章という名で浮世絵画壇にデビューする』(『小学館ギャラリー 新編名宝日本の美術 第28巻 歌麿』狩野博幸著 小学館 1991年刊)
●天明元年(1781)頃に喜多川歌麿を名乗り始め、住まいは上野忍岡御数寄屋町に住んでいたらしい。蔦屋重三郎との関係も始まり徐々に活躍を始めた。この頃は、他に北尾重正、鳥居清永らから形を学んだと言われる。
喜多川歌麿が自己のスタイルを確立し始めたのは、気鋭の版元・蔦谷重三郎との出会いからである。その始まりは狂歌絵本の制作である。歌麿美人ではなく狂歌絵本から歌麿が成長した事は、余り知られていない。 天明8年(1788)に『画本虫撰(むしえらみ)』、同じ頃に『潮干のつと』を出す、寛政初年頃(1789)に『狂歌絵本百千鳥狂歌合』をいずれも蔦重からの版行である。これらは歌麿本にはあまり取り上げられることはなく、まして全編の紹介はほとんどない。狂歌絵本三部作を見ると歌麿の画面構成力、画力の確かさを見ることが出来る。(参照・『小学館ギャラリー 新編名宝日本の美術 第28巻 歌麿』狩野博幸著 小学館 1991年刊)
●我々は喜多川歌麿というと、ほっそりとした吉原遊女やほのかな色気の茶屋美女を思い出すが、驚く事に自然の鳥・貝・虫の描写も巧みである。これらが見開き画面に描かれ、2種の狂歌が記載された狂歌絵本である。しかし、喜多川歌麿紹介の図録や解説本でも、狂歌絵本の全貌を取り上げられる事はなかった。
狂歌というなじみのない歌は、江戸時代の社会背景を理解しないと面白みが分からない。また歌麿の狂歌絵本との関わりは、蔦谷重三郎(蔦重)との出会いからである、蔦重は天明2年(1782)から3年(1783)にかけて狂歌師・四方赤良(よものあから)大田南畝(蜀山人)、朱楽管江(あけらかんこう)(山崎景貫)と語らい狂歌の普及を図ったようである。蔦重は常盤橋筋 北江八丁目通油町南側の丸屋小兵衛の店を買収して、本格的に狂歌本、絵本、洒落本、黄表紙、滑稽本などの出版を始めた。歌麿は蔦重との関係から狂歌絵本に関わったと思われるが、描かれた鳥の絵は素晴らしものであった。(参考・『浮世絵八華3 歌麿』平凡社 1984年刊)(注)狂歌は拡大画面で見ることが出来ます。
●『絵入狂歌本は古く延宝・天和(1673〜1684)頃からあるが、天明に入り、江戸狂歌が武家・町人を問わず広く流行するに従って、豪華な錦絵摺の入った狂歌本の出現を見たのである。絵も専門の浮世絵師が担当するにおよび、狂歌師と版元(蔦谷重三郎が独占)の共同の所産である彩色摺絵本狂歌本が多数刊行されるにいたった』(『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品二 清長ー歌麿』大修館書店 昭和55年刊)
●歌麿が描いた狂歌絵本は、おそらく23点に及ぶが、その内の18点が蔦重の版行である。天明8年(1788)から寛政2年(1790)は、歌麿が
もっとも絵入狂歌本に熱中したときであり、そのため錦絵はあまり描いていないようだ。歌麿単独の挿画は七点と言われる。(参考・『浮世絵八華3 歌麿』平凡社 1984年刊)(2014.09.29制作)
●大英博物館の日本美術部長・ローレンス・スミス氏(昭和62年当時)が次のような事を述べている。
『木版印刷による浮世絵の最良の作品が二点収蔵されていた。その一点は、歌麿の名を一躍世に知らしめたといわれる絵本、『画本虫撰』(1788=天明八年)である。この版本には、探検家であり植物学者であったサー・ジョセフ・バンクストン(1743〜1820) の蔵書印が捺されており、彼の死後、蔵書係によって博物館に遺贈された蔵書中の一冊である。特に興味深いのは、この本が彼の存命中、すなわち1820年以前という早い時期にイギリスに渡ってきたのは、明らかに植物学的な関心に支えられてのことであろうと思われる点にある。』中略『ヒーリア・コレクションから入った『画本虫撰』は、刊行当時そのままに、上下二冊とも日本流の表紙を残しており状態も良い。』、植物学者が見ても素晴らしい植物画であったようだ。また、大英博物館には『潮干のつと』も収蔵されている。(参考・『秘蔵浮世絵大観 一 大英博物館
1 』楢崎宗重編著者 講談社 昭和62年刊)2014.10.10更新
(注)ジョセフ・バクストンとは Wikipedeaのよれば、『サー・ジョセフ・パクストン(Sir Joseph Paxton, 1803年8月3日 - 1865年6月8日)は、イギリス人造園家、建築家、政治家。第1回ロンドン万国博覧会 (1851年) で水晶宮(クリスタル・パレス)を建設。イギリスで最初に公園を設計し建設した人物とされる。世界で最も流通量の多いバナナの栽培品種キャベンディッシュの栽培を行ったことでも知られる』、(写真は水晶宮と開会式の様子)
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●シーボルトも歌麿の狂歌本を日本から持ち出した。日本・オランダ修好380年『シーボルトと日本』編集:京都国立博物館 東京国立博物館・朝日新聞社 印刷
『歌麿の絵本はシーボルト・コレクションのなかにこれがあるだけである。シーボルト滞日の時代にも容易には手に入らなかったとみえて、本書も再刊本で、初版の神経質までの繊細な摺刷技術はうかがえない。しかし、木版によってこれほどの表現が出来る日本文化の水準に、あらためて感嘆するシーボルトが想像できる。彼のサインが本書裏面に書きされている。』 |
●鴨と翡翠 拡大表示
ボストン美術館−1 |
●(雀)鳥名なしと鳩 拡大表示
ボストン−2 |
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●鷹と百舌 拡大表示
ボストン美術館ー5 |
●鷦鷯と鴨 拡大表示 ボストン美術館−7 |
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●燕と雉子 拡大表示 ボストン美術館−8 |
●まめまいしときつつき 拡大表示 ボストン美術館−9 |
●木兎と鶯 拡大表示 ボストン美術館−10 |
●鶉と雲雀 拡大表示 ボストン美術館−11 |
●四十雀とこまどり 拡大表示 ボストン美術館−12 |
●鶏と頬白 拡大表示 ボストン美術館−13 |
●ゑながとめじろ 拡大表示
ボストン美術館−14●山鳥と鶺鴒 拡大表示 ボストン美術ー15 |
●歌麿の代表三部作は、『画本虫撰(むしえらみ)』天明八年(1788)彩色摺絵入 2帖、『潮干のつと』寛政元年頃 彩色摺 大本一帖、『百千鳥狂歌合』寛政初年頃 彩色摺 大本二帖である。(美濃判彩色摺で、五図から十数図の折帖の体裁)、(注)国立国会図書館では絵本狂歌本として貴重書として指定されたようである。残念ながら、国内の本では紹介出来ないのでボストン美術館所蔵に頼った。
「狂歌絵本の判型について 国立国会図書館収蔵の狂歌絵本を見ると統一した判型は無いようだ。確認される『潮干のつと』では27.4×19.4pである。他の版元では、25pから27pとまちまちである。
●喜多川歌麿狂歌絵本『画本虫撰』を見る。
●喜多川歌麿狂歌絵本『潮干のつと』を見る。
●歌麿の詳しい浅野秀剛氏の本
『浮世絵ギャラリー 6 歌麿の風流』浅野秀剛著 小学館 2006年刊 拡大画面が見られます。
●ボストン美術館へアクセス |
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