ー北馬込地区から流れる内川跡を源流から歩く…1
写真

内川について
緑道の写真  現在、内川跡は環状七号線で分断されている。新幹線の宮下坂橋跡あたりから、内川を埋めた緑道をたどると写真のように突き当たる。環七の国道が一段と高いところに走っている。環七には水の通り道を確保した形跡(トンネル)はなく、建設時に内川は完全に埋められていたのではないか。ここから将監谷(西馬込)まで自然のなだらかな下坂である。

右の写真は、宮下堀橋跡あたりから曲がると、環七までは、ほぼ直線である。広大な営団地下鉄職員宿舎を縦断している。古く江戸時代は広大な湿地帯ではなかったか。古代は、馬の放牧があり、鎌倉時代には、この場所で奥州攻めの馬を集めていたという伝承もある。駒込から馬込に名前が変化したのもうなずける。


新幹線写真

左下辺りが宮下坂である。右が都営地下鉄車両基地跡と第二京浜国道馬込坂である。新幹線用地買収が困難なため、品鶴線の上に高架として造られた。

緑道の写真
横須賀線下写真

内川のトンネル (今は閉鎖された内川のトンネル 2007年撮影)
  品鶴線の内川トンネル前は大きなカーブでトンネルにつながる。上の写真は品鶴線時代(昭和4年開通)に掘られた「内川」のトンネルで水は流れていない。最初に内川を分断したのは品鶴線であった、水源は乙女坂あたり、次に環状七号線工事により、完全に水源は断たれたのではないか、湧き水が豊かなこの辺りは、別の水源が内川に流れ込んだ、しかし水量が減り暗渠の開始と考える。

都営地下鉄車両基地跡

上の写真は、都営地下鉄車両工場があったところである。西馬込から車両整備のためここまでトンネルを掘り運んだが、今は梅田小学校脇の車両基地で整備が行われている。左側に新幹線高架が見える、陸橋の下が第二京浜国道である。左の電柱奥辺りに内川のトンネルがある。正面の森は長遠寺の裏手、下に第二京浜国道が走っている。坂は長い馬込坂である。
 地図を見ると、大正の頃は何もない湿地帯ではなかったか。耕地整理第二京浜国道建設で削られた土砂は、低地に投げ捨て埋められた。また池上や千束方面まで運ばれて埋められたらしい。
2013年頃には、この跡地は私立立正高・中学校が出来る予定である。

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