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●内川の源流か
東雪谷の長慶寺あたりから貝塚坂を登り、夫婦坂の上から見た環状七号線(赤信号)。左側が洗足方向で緩やかに登っている。反対リコー側は緩やかな坂道である。右写真は夫婦坂の一番低い所、北馬込1丁目である、このあたりの湧水が環状七号線に沿うように流れて馬込第三小学校、住宅展示場のあたりの集まり内川の源流になったと考えられる。
環七が出来る前の道は、地元で「谷中通り」と言われていた、また、この道には「溝川」と言われた小川が流れていた。これが宗福寺からの内川の源流に合流して大きな流れとなったと考えられる。
| ●上の写真は環七から見た内川の跡、左側のコンクリートは古い当時のものか。わずか数十メートルで突き当たりになる。道の先は宗福寺の下側斜面になる。
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●昔の内川について(メール紹介) ●浅間神社 由緒によれば当社は、享保17年(1732)に富士山本宮浅間神社を勧請したと言われる。手水石には天保12年(1841)の刻印があり江戸時代を証左する。写真は稲荷社である。住所・中馬込2-1-21 |
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内川源流と湧水…拡大表示 |
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