地図は「大田区地図集成」大田区郷土博物館 平成2年5月
《推定される内川の源流付近と湧水群》
  現在、夫婦坂と呼ばれる付近は、昭和7年(1932)の地図では山野と呼ばれていた。まだ環状七号線は計画線も見えない、上池上からの貝塚坂は坂の途中まで記載されている。坂上の夫婦坂は未開発である。夫婦坂付近の丸い水色は予想される湧水の位置である。そこから流れる水色の川は推理した内川の跡、谷部分である、この川は溝川と言われた環七の中央部を流れていた小川ではないかと思う。
宗福寺・松原付近にも湧水があり内川に注いだようだ。松原とは三本松(天祖神社)とも言われ「新馬込橋」付近である、川瀬巴水の浮世絵の風景『馬込の月』である。高台に見える三本松は良い目印となった。内川は山裾沿いに流れたようだ。


  現在、夫婦坂と呼ばれる付近は、昭和7年(1932)の地図では山野と呼ばれていた。まだ環状七号線は計画線も見えない、上池上からの貝塚坂は坂の途中まで記載されている。坂上の夫婦坂は未開発である。夫婦坂付近の丸い水色は予想される湧水の位置である。そこから流れる水色の川は推理した内川の跡、谷部分である、この川は溝川と言われた環七の中央部を流れていた小川ではないかと思う。
宗福寺・松原付近にも湧水があり内川に注いだようだ。松原とは三本松(天祖神社)とも言われ「新馬込橋」付近である、川瀬巴水の浮世絵の風景『馬込の月』である。高台に見える三本松は良い目印となった。内川は山裾沿いに流れたようだ。

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