鎌倉時代の平間街道を歩く、鎌倉へ向かう道

大森郵便局から分かれて20メートルほどで環状七号線に出る、それを渡り前を見ると左前方に「古い東海道」の石碑が建っている。神社の角地である。ここには内川を渡る出土橋が架かっていた。この道をまっすぐ行く。別に面白いものはない。石碑は街道全部で3つぐらいしかない。

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大森方向から進むと右側に太田神社への参道が見える。通り過ぎるて「蚤川の浄国橋」を渡る。右側には池上本門寺の山が見える。少し行くと右端に「妙見堂」の石碑がある。裏面には昭和5年(1930)の建立とあるので、古い道であるという証拠になる。


 写真写真太田神社(家運八幡宮)中央6-3-24

『照栄院』(池上1-13-10)
 大坊、理境院と並んで三院家の一寺となり、本門寺の役寺である。僧侶教育の寺として明治2年(1869)の廃壇されるまで使われた。左側の階段を上がると妙見堂がある

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妙見堂』には、南谷壇林の守護鎮守として、「妙法菩薩立像」がある。石段はきつく、ほとんど一気に本門寺の上まであがる感じである。菩薩は非公開である。

下の写真、蚤川の橋上に立ち振り返ると 緩やかに曲がる道が見える。
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古い東海道は、写真手前の横断歩道左である。大正11年池上電鉄が蒲田・池上間の私鉄電車を走らせました。ここから多摩川の渡しまで歩いていきましょう。次ページにつづく

街道から見ると総門、此経難持坂が一直線に見える。古い地図によると、このあたりは門前寺町で旅籠だの土産屋、茶屋が多かった。写真でやや高く見えるのは霊仙橋である。

写真で見える総門の左の道「目黒道」を行くと、理境院、実相寺、大坊本行寺がある。第二京浜(第一国道)を横切り、山裾沿いの道を行くと林昌寺子安八幡神社を経て洗足池に出る。途中で新幹線のトンネルをくぐる。新幹線に平行して走るのが昔の品鶴線である、元は貨物線だった。坂道を登ると中原街道である。
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