子安神社
1256年(康元元年)の創建か、鶴岡八幡を勧請した八幡(子安八幡)神社
狛犬写真
狛犬写真
狛犬写真
上の写真は左の狛犬、最上は右の狛犬(顔)
狛犬左の後ろ姿。


子安八幡の狛犬について……
 狛犬の奉納は享保10年(1725)である。大田区に特有なのか分からないが、どちらも「子取りの阿像」(犬型)で、獅子ではなく犬(狛犬)らしい。耳の形が犬を表し、髪もストレートのロン毛である。尻尾も左右に分かれている。左の狛犬足下に子供が一匹。右の狛犬にも足下に一匹いる。どちらも阿像とは珍しい。台座を見ると安政時代頃に修理を行ったらしい。石工は「六郷 竹内六之○」である。
注『石工名は六郷の竹内六之助 安政五年(1858)』と水上市郎平氏『町の風土記』(1994.8.20刊)にある。

本殿写真
参道階段

左は急な参道階段。登ると女坂参道ともう一段の階段がある(上の写真)


八幡(子安八幡)神社
  神社の伝承によれば、康元元年(1256)、池上右衛門太夫宗仲が鶴ヶ丘八幡の分霊を勧請した神社で、池上郷の鎮守であるという。神体は弘安5年(1282)9月28日、日蓮が開眼した由緒深いものである。別当は林昌寺であったが、明治の神仏分離により現在の八幡神社となった。 子安八幡神社は、『弘安5年(1282)9月28日に開眼すと、これより本門寺の鎮守として崇敬せらる。然るに天正9年(1581)12月15日、根方村の人綱島有近祐清の願により同人の土地即ち現在の地に遷宮せらる』とあり、元は池上本門寺にあった。現在の社殿は昭和2年(1927)の再建である。左の写真は子安神社から猿坂に向かう途中にある品鶴線である。

古い写真

「池上町史」池上町史編纂会編 昭和7年(1932)刊から。子安八幡神社は『弘安5年(1282)9月28日に開眼すと、これより本門寺の鎮守として崇敬せらる。然るに天正9年(1581)12月15日、根方村の人綱島有近祐清の願により同人の土地、即ち現在の地に遷宮せらる』とあり、元は池上本門寺にあった。現在の社殿は昭和2年(1927)の再建である。上の写真は子安神社から猿坂に向かう途中にある品鶴線 。住所 仲池上1-14-22 である。拡大表示

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