歌川国芳の画面構成はかなりハードである。やりすぎ国芳の面目躍如

画題「東都御厩川岸之図」一勇斉(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 

歌川国芳は、かなりの凝り性であり粘着気質である。厩橋の川岸は土砂降りの集中豪雨である。地面から跳ね上がる雨の様子まで表現している。雨の表現も大きく2種類ある。雲や空の処理は洋風であり、背景のシルエットは板ぼかしを使い巧妙に遠近感を出している。この雨には彫師も摺師もうんざりしたことだろう。このシリーズは5図確認されている。

「暑中の夕立」一勇斉国芳(歌川国芳)名主双印・村松源六・福島和十郎 弘化4年〜嘉永2年(1847〜1849)版元・林屋庄五郎

すさまじいほどの夕立である。女達は裾を上げ、素足でおしゃべりに夢中である。さしている傘には、「千束」「駐春亭」「田川屋」の文字がある。これは新吉原の裏手にあった茶屋「駐春亭田川屋」の広告であろう。広告は「引き札」と言われ、江戸時代には盛んであったらしい。浅草奥山・両国河岸の見世物興行では、客寄せの為に墨一色の引き札が江戸市中に捲かれた。 夕立の雨の隙間に見えるのは、町並みであろうか、面白い表現である。彫師も大変であったと思われる。

「高輪大木戸の大山講と富士講」について

「高輪大木戸の大山講と冨士山講」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉兵衛 年代不明 極印・天保初め頃、1830年から1834年頃という説もあり。 国立国会図書館デジタル化資料

謎の多い絵である。タイトルはなく、国芳の制作意図が不明である。中央の絵では争いがあるようで、刺青をした鳶職人がおり、諍いが主題の浮世絵の可能性もある。争っているのは、国芳自身の講中という説もある。上記の書籍にこの浮世絵についての専門家の鼎談があります。
『総じて国芳は民衆世界、なかでも鳶集団のもつ侠気や刹那主義的価値意識を軸とする心性を共有しているいえるのではないだろうか』(「浮世絵を読む 国芳 6」浅野秀剛・吉田伸之著 朝日新聞刊 1997年
真ん中の絵では、「一勇」の提灯を並べている。これは、国芳の講中と言われている。ここで諍いが起きているという。

国芳は、アイディアマンである。鏡でどのように見えるのか、自身で試したであろう。やや稚拙な国芳 彫師が悪いのか国芳の下絵があまかったのか
浮世絵浮世絵
「山海名産尽 近江の国源五郎鮒」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 極印・天保年間 版元・伊勢屋小兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
山海名産尽は、一勇斉国芳と落款がなければ国芳と思えない。面白さはあるが、絵の荒さが目立つ彫りが粗い、特に右絵の左下に不自然な横線が有り、はっきり背景と分かれている。右の鏡の絵は、嘉永5年の版行で構成は見事である、背景は良くないが。
浮世絵「山海目出度図会 くせが直したい」絵・一勇斉国芳)名主印・村田平右衛門・衣笠房太郎 嘉永5年(1852)版元・蔦屋吉蔵 彫り・庄治 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
扉に戻る  幕末浮世絵目次  江戸ー奇想   北斉目次  国芳目次