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●画題「東都御厩川岸之図」一勇斉(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 |
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●歌川国芳は、かなりの凝り性であり粘着気質である。厩橋の川岸は土砂降りの集中豪雨である。地面から跳ね上がる雨の様子まで表現している。雨の表現も大きく2種類ある。雲や空の処理は洋風であり、背景のシルエットは板ぼかしを使い巧妙に遠近感を出している。この雨には彫師も摺師もうんざりしたことだろう。このシリーズは5図確認されている。 |
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●「暑中の夕立」一勇斉国芳(歌川国芳)名主双印・村松源六・福島和十郎 弘化4年〜嘉永2年(1847〜1849)版元・林屋庄五郎 |
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●すさまじいほどの夕立である。女達は裾を上げ、素足でおしゃべりに夢中である。さしている傘には、「千束」「駐春亭」「田川屋」の文字がある。これは新吉原の裏手にあった茶屋「駐春亭田川屋」の広告であろう。広告は「引き札」と言われ、江戸時代には盛んであったらしい。浅草奥山・両国河岸の見世物興行では、客寄せの為に墨一色の引き札が江戸市中に捲かれた。 夕立の雨の隙間に見えるのは、町並みであろうか、面白い表現である。彫師も大変であったと思われる。 |
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●「高輪大木戸の大山講と冨士山講」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉兵衛 年代不明 極印・天保初め頃、1830年から1834年頃という説もあり。 国立国会図書館デジタル化資料 |
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●謎の多い絵である。タイトルはなく、国芳の制作意図が不明である。中央の絵では争いがあるようで、刺青をした鳶職人がおり、諍いが主題の浮世絵の可能性もある。争っているのは、国芳自身の講中という説もある。上記の書籍にこの浮世絵についての専門家の鼎談があります。 |
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●国芳は、アイディアマンである。鏡でどのように見えるのか、自身で試したであろう。やや稚拙な国芳 彫師が悪いのか国芳の下絵があまかったのか | ||||
●「山海名産尽 近江の国源五郎鮒」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)
極印・天保年間 版元・伊勢屋小兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示 ●山海名産尽は、一勇斉国芳と落款がなければ国芳と思えない。面白さはあるが、絵の荒さが目立つ彫りが粗い、特に右絵の左下に不自然な横線が有り、はっきり背景と分かれている。右の鏡の絵は、嘉永5年の版行で構成は見事である、背景は良くないが。 |
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●「山海目出度図会 くせが直したい」絵・一勇斉国芳)名主印・村田平右衛門・衣笠房太郎 嘉永5年(1852)版元・蔦屋吉蔵 彫り・庄治 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示 | ||||
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