小林清親は光線画の開拓者である、逆光の構図と
光源の変化で葛飾応為の後を継いだ
月明かりに照らされる海面とガス灯 
「築地明石町寒夜之月」画・小林清親 27.1×39.8p 所在不明

ガス灯の明かりと車夫の持つ提灯が道を照らす 
「雪中を走るの人力車」画・小林清親 ボストン美術館

朧月夜が川面を照らす、料亭の灯りが川面に揺れる 
「今戸橋茶亭の月夜」画・小林清親 山口県立萩美術館・浦上記念館蔵

川面に無数の蛍、楽しそうな室内の灯り 
「天王寺下衣川」画・小林清親 大英博物館蔵

薄明かりの月夜、佇む斥候と軍馬 
「我鴨付近陣地斥候の図」画・小林清親 ボストン美術館蔵

江戸から東京になっても大火は発生した 
「明治十四年二月十一日夜大火 久松町二面見る出火」画・小林清親 
東京国立博物館蔵

海上で爆発燃え上がる軍船、海面には船と三日月の影 
「朝鮮豊島海戦之図」画・小林清親 太田記念美術館

燃え上がる城と川面に動く人影、影が画面の六割を占める、川面の人間のシルエットが印象的。 
「精鋭我軍占領台湾膨湖嶋之図」画・小林清親 所在不明

砲弾の大きな爆発で大きな灯り、シルエットになる人馬、廻りも
灯りに照らされる。力強い構図 
「我第二軍全州上陸敵営砲撃之図」画・小林清親 ボストン美術館蔵

強力な探照灯で平壌を照らし砲撃する日本軍の砲兵 
「平壌攻撃電気使用の図」画・小林清親 江戸東京博物館蔵 明治27年(1894)

 花火の大きな光の輪、照らされる川面と屋形船 
「両国花火之図」画・小林清親 版元:福田熊次郎 年代等 明治13年
体裁:大判錦絵 24.8×36.3cm 横浜美術館蔵
日本橋の夜景 

「日本橋夜」画・小林清親 江戸東京博物館蔵

 
明治10年(1877)8月21日に開かれた博覧会、人々を驚かせた人工灯、
ロウソクより人を明るく照らす。
 
「内国勧業博覧会瓦斯館ーイルミネーション」画・小林清親 横大判錦絵 
明治10年(1877)東京国立博物館蔵
 
小林清親(1847〜1915)が『東京名所図』版行時に光線画と呼ばれていたかの、確かな確証は無いようだ。『一説にはこうした特徴に光線画と名付けたのは版元の「松木平吉」(まつきへいきち)とされています。』(参照・刀剣ワールド)

小林清親の研究家・吉田洋子氏によれば、1895年(明治28年)の『教科適用 毛鉛画独稽古 附教授法』が、清親による「光線画」の初出としている。西洋では、「球体等を鉛筆で描く場合の、濃淡で立体感を表現することを「光線画」と呼んでいる。」これは、西洋絵画技法での「キアロスクーロ」であり、『東京名所図』を光線画と呼ぶのは違うように見える。

日清・戦争日清戦争は明治37年(1904)から明治38年)の一年間であった。浮世絵界最後の輝きであった。国民の意識の高揚に寄与した。日清・日露の戦争画を見る。

日清戦争
上記の浮世絵を見ると、光線画とは、一つの光源(自然の光、夕焼、月など)から照らされた人物・自然が影と成り、月光ならば柔らかな陰影と成り日本の風景となる描写方法であろう。
強い光源、火事や花火・爆発は強い影を生み、強い印象を与える。明治にもたらされた西洋の人工灯は明るく人物・建物を照らす。光線画のポイントは照らされた人物の影が大きな役割を果たす。影があることは、画に現実感を与える。また水面に反射する光も影と同等の効果をを産む。西洋画でも絵画に影は描かない。宗教画の神に影は無い、神は人間では無い。影は人間の分身である。(私見)
 
火事や戦争の浮世絵は報道性から人気があったと言われる。小林清親も5年ほどで光線画を描かなくなった。理由は不明。写真の報道性が、浮世絵の報道性を奪ってしまった。〈参考〉葛飾応為の『吉原格子先之図』 『夜桜美人図』を御覧ください。また、『百撰百笑 : 日本万歳』小林清親著の紹介記事があります。国立国会図書館に48枚の画が見られ、リンクを貼ってあります。

当会にも小林清親の画いた『大森朝之海』明治13年(1880)の浮世絵があります。朝靄の中での海苔採取風景です。

《参考図書》 「別冊太陽 日本の心 229 小林清親 光線画で画かれた郷愁の東京」 2015年6月22日 (株)平凡社
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