日清戦争と日露戦争を画いた浮世絵が人気を呼んだが、日露戦争半ばより
写真の報道性(速報性)に取って替わられた。
 黄海の海戦 明治27年(1894)9月16日 大英博物館所蔵
 黄海の海戦 明治27年(1894)9月16日

「日清艦激戦之図」春斎年昌、出版:小森宗次郎 大錦3枚続 明治27年(1894年) 国立国会図書館所蔵
 
 日清戦争は明治27年(1894)に始まる。国民の高揚感はすさまじく、直ぐに25銖の浮世絵が創られ、一年の戦争期間中に300点に及ぶ浮世絵が創られた。それも三枚揃いである。小林清親の制作が一番多い。明治37年(1904)に始まった日露戦争は、写真が使われており、浮世絵は僅か50点ほどに衰退した。写真は現実の報道性が優れ、その効果は御覧の通りである。(参考・ウィキペディア)
 写真下.203高地から見た旅順港の陥落後の姿。五隻の擱座している軍艦・戦艦が見える。
 写真下.占領直後の203高地、旅順港の全景がみえる。ロシアからの砲弾が飛び交っている。最前線の写真である。写真は国立国会図書館蔵 占領直後の203高地、旅順港の全景がみえる。コメントには、ロシアからの砲弾が飛び交っている。最前線の写真である。写真は国立国会図書館所蔵 
 浮世絵が情緒に流れ、報道性に乏しいことが分かる。国民が知りたいのは、戦争がどうなっているかである。203高地の戦いはどうかである。日清戦争で試験的に使われたカメラは、時間的にも早く。浮世絵は50点ほどが創られたようだが売れなかった。時代は新聞の早い報道性(速報性)に軍配を上げた。これ以後、新聞は報道写真が主体になった。
目次扉に戻る