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●教育用の解説本 東京国立博物館に保存されている『教草(おしえぐさ)』と呼ばれた江戸時代の書物である。初等教育用の教科書のようなものである。絵と文章で子供にも分かるように説明している。 写真は「鷹狩一覧」とタイトルが付いている。東京国立博物館には21点があり、調べると全30点あり、それぞれに外箱が付いている。 田中芳男が明治6年(1873)にオーストリア・ウィーン万国博覧会に出品したものである。 ● 『資料は、明治6年(1873)のウィーン万国博覧会で紹介した日本の伝統的な技術や産業などを、子ども向けにわかりやすく図解した「教草(おしえぐさ)」の中の1枚です。鷹の種類、道具、調教方法、狩りの時期などが記されています』(国立公文書館)東京国立博物館蔵 |
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●大田区での鷹狩りについて……(江戸時代) |
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●江戸郊外 大田区の鶴の狩り場について「新版 大森風土記」から 『 徳川幕府時代は大森区即ち、新井宿、馬込、池上、舊大森地方は将軍家の狩猟場で殊に鶴領地として著名であった。新井宿の源太郎、喜平、子四郎(何れも橋爪氏)は木原地頭の下に将軍家の鶴役を仰付けられ多きは六人扶持で而かも隔年に家を修繕した、その費用は将軍家より支出されたといふ、 捕鶴場としての一説には、新井宿、蒲田の鶴渡り、川崎の三カ所であったといふ』、『亦馬込西一丁目の上台稲荷神社の境内は、鶴の巣籠で名高い伝説に終始している』、また大森山王の弁天山一体は、将軍の狩場としてしられていた。(静山公「甲子夜話」より。このあたりは、兎狩場であったと言われる。(参照『新版 大森風土記』杉原庄之助著 昭和10年刊 私家本)。黒鶴神社を見る |
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ー『富士の裾野巻狩之図』画・玉蘭齋貞秀ー | |
●玉蘭齋貞秀(歌川貞秀) 版元・山口屋藤衛門 37×74センチ 三枚揃い (「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵) |
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●名主印は米良太一郎と村田平右衛門である。発売は引化4年(1847)から嘉永5年(1851)の間である。全体の色味も悪く、出来は良くない。これは経年劣化なのか、裏打ちの糊のせいなのか分からない。 右にある台場が「 御立場」と言われる将軍の御覧になる場所である。よく使われる面目がなくなる、「立場」がなくなるとは、ここから来ているのかも知れない。 歌川貞秀についてー 御上洛東街道からー |
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●『東葛飾郡史』掲載の『小金野夢物語』より |
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