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●鷹を訓練する場所「御捉飼場(とりかいば)」
ここで鷹を訓練した、餌は犬や鳥であった。鷹は弘前藩津軽家より吉宗に献上されており、津軽藩が鷹の献上を中断してから24年ぶりのことである。また他の大名も鷹を献上した。また、鷹は権力者(将軍家)からの贈答品として外様大名や譜代大名、御三家に送られた。家康は徳川の記録『徳川実記』によれば鳥類贈答は34回にのぼるという。(参考『鷹と将軍 徳川社会の贈答システム』岡崎寛徳著 講談社 2009年刊) |
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●画中には「陸奥守殿より献上 赤婦生ノ地取」とある。弘前藩津軽家から献上された鷹を、御用絵師狩野栄川古信(1716〜1731)が描いた下絵か。木挽町狩野家5代目。 ●『御鷹生地取-上巻』絵・狩野古信 江戸時代 東京国立博物館蔵 ●『有徳院加筆鷹画草稿』絵・狩野古信 江戸時代 東京国立博物館蔵 吉宗が描き、古信が補筆をしているようだ。 狩野古信 詳細 |
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葛飾北斎団扇絵「鷹」 ●上の写真は葛飾北斎の団扇絵、鷹であるが空中を飛ぶ難しいポーズを選んでいる。 |
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●「権八と小紫」絵・玉川文浪 版元・江崎屋吉兵衛 (注)玉川文浪としているのは、ロシアのプーシキン美術館である、詳しいことは不明である。文浪は江戸後期の浮世絵師で喜多川歌麿をまねた画風で知られる。東京国立博物館蔵
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『百千鳥狂歌合』絵・喜多川歌麿 版元・蔦屋重三郎 寛政初年(1789)彩色摺 大本(おおほん)二帖(B5判大学ノートサイズ ボストン美術館所蔵 |
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●喜多川歌麿の代表的『狂歌絵本』三部作 1. 『画本虫撰』、2.『潮干のつと』、3.『百千鳥狂歌合』から『百千鳥狂歌合』の鷹である。歌麿と言えば美人画で有名であるが、どうしてどうして観察眼が鋭く、動植物もすばらしい。左のアップ、鷹の目もすばらしい。また、一説では狩野派に絵を学んだとも言われる、この狂歌絵本『百千鳥狂歌合』を見ると自然の描き方に、この説を否定できない事を感じる。 ●他の百千鳥狂歌合の絵を見る。 |
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●『鷹』絵・喜多川歌麿、年代等詳細は不明 おめでたい図柄であるが、拡大画面を見てもらうと分かるが、木に止まる足(右足)が不自然に曲がっている。また、歌麿の構図の癖であろうが、鳥の姿に背景を被せすぎる、頭を後ろの枝から、やや下に外した方が良いと思うが素人の浅はかな見方か。狂歌絵本『百千鳥狂歌合』でも二羽の鳥を被せて見せている。 |
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●鶴に飛びかかる鷹二羽である。将軍の「鶴御成」を描いたものであろう。将軍家の鷹狩りでも正月の「鶴御成」はめでたい行事であり、鶴は内裏への献上や御三家や大名への下されものとして鶴が振る舞われた。(参考『鷹と将軍 徳川社会の贈答システム』岡崎寛徳著 講談社 2009年刊) | |||||||||||
歌川広重の名所江戸百景『深川州崎十万坪』将軍に復興の願いを託す絵 | |||||||||||
●江戸名所百景シリーズは、安政2年(1854)に起きた江戸直下地震、いわゆる安政大地震で壊滅的被害を受けた江戸の復興を願った浮世絵と言われる。美しい江戸の名所や街風景を描いたシリーズである。季節ごとに纏め、江戸郊外も含めた名所や風俗までを描いている。広重の江戸へのこだわりを感じる。 ●幕臣である広重は、祈りを込め将軍の権威である鷹を描いた。 やや高い位置から俯瞰する構図も多いが、右の『深川州崎十万坪』は不思議な浮世絵である。埋め立て地である州崎の冬景色を、上空から見つめる大鷹である。広重は江戸幕府の御家人であり定火消同心であった。この絵は様々な解釈がされているようだが、素人(私)の想像では、江戸の復興を鷹に見立てた将軍(幕府)に祈念しているように見える。現在は冬の雪に覆われているが、広大な州崎の埋め立て地に、新しい町屋が広がるであろう。後には復興の春が巡ってくると信じる晩年の広重の祈りに思える。(私見) ●名所江戸百景シリーズの一枚、『深川州崎十万坪』である。版元・魚屋栄吉 安政3年から5年の板行。 国立国会図書館蔵 ●毛利梅園の描く鷹である 江戸図譜の代表的な絵師の一人である。旗本の幕臣である彼は、気品がありいかにも平和な江戸時代の絵である。毛利梅園の図譜詳細を見る。国立国会図書館デジタル化資料 ●「水仙花_鷹とぬくめ鳥」 歌川広重画 江戸時代 中短冊、東京国立博物館蔵 ●ぬくめ鳥とは…… 1.冬の寒い晩など,鷹(たか)が小鳥を捕らえてつかみ,自分の足を温めること。また,その小鳥。翌朝,鷹はその鳥を放し,その飛び去った方向へその日は行かないようにしてその恩に報いるという。 「鷹のとるこぶしのうちの−氷る爪根の情をぞ知る/後京極鷹三百首」 2. 親鳥が自分の羽の下にひな鳥を入れて保護すること。 「羽交の下の−,恩愛こそは哀なれ/浄瑠璃・百合若大臣」(大辞林より) |
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●関根雲停が描く鷲 関根雲停(1804〜1877)は幕末から明治にかけて活躍した画家である。田中芳男が「博物雑誌」第一号に雲停翁小伝として記している。それによると『関根雲亭通称を(栄吉)は、江戸四谷に生れ、幼い頃から体質が虚弱で絵を好み、大岡雲峰に弟子入りして絵を学び、花鳥図を得意とするようになる。大名旗本は争って雲停に絵を頼み、特に富山藩前田利保はその絵を賞賛した、描かれたものは花卉が多く、本草家(当時の植物学者)にも重用された、外国人に寄贈するために絵を描くこともあった。』質素な身なりを気にせず、身分の高い人の前でも平然と植物画や生物画も描いたが、その絵は写実により正確で素晴らしく、大名・旗本などからの注文が絶えなかったという。花鳥画の一枚絵は、裕福な町民の掛け軸となったようである。左の下絵も正確で素晴らしい。 東京国立博物館蔵 |
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参考図書 『鷹と将軍 徳川社会の贈答システム』岡崎寛徳著 講談社 2009年刊 『新版 大森風土記』杉原庄之助著 昭和10年刊 私家本 太田図書館蔵 『太田区史 中巻』 (第五節 品川筋御鷹場 根崎光男筆)新倉善之編 大田区刊 平成4年 『小松菜と江戸のお鷹狩り 江戸の野菜物語』亀井千歩子著 彩流社 2008年刊 『御鷹場』』本間清利著 埼玉新聞社 昭和56年刊 『多摩と江戸ー鷹場・新田・街道・上水ー』大石学編 けやき出版 2000年刊 |
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●国立国会図書館 ●東京国立博物館 図譜目次 |
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