桐ヶ谷の鎮守様、別名「黒鶴神社」とは美しい響きの神社

明治7年(1874)2月の再建である。
黒鶴神社について  
池上本門寺の裏門につながる尾根道にある。別名を「黒鶴神社」と言う。いわれは江戸時代に「この地の領主が境内で黒鶴を捕らえ将軍家に献上したことから」と言われている。(「大田区の神社」大田区発行より)
  創建ははっきりしない。『創建は不明なれども馬込町河原家の伝説によれば、元同家の辰巳守護神として勧請したものらしい』『徳川時代には、将軍鷹狩りお成りの説には、必ず臣家を以て代参せしめた』(『新版 大森風土記』杉原庄之助著 私家本)、桐ケ谷村十一家の鎮守であった。狛犬はないが、天保4年(1833)の刻印のある「手水石」(石工甚五郎名)が鎮座している。神社は切り立った丘の上にあり、本門寺の五重塔のシルエット越しに、美しい夕日が沈む風景が見られた。また左前方には江戸湾が広がっていた。
幕府の鷹狩り

明治4年の鳥居。下の写真は鳥居へ向かう急な階段。昭和46年(1971)の大田区文化財資料によれば境内には椎(しい)の大木が多いとある。坂の下は江戸時代頃は磯で海が迫っていたらしい。下の坂の名は「潮見坂」である。
現在は、神社左手の車道からお参りできるが、江戸時代は右側の急な道から参拝した、丘の上に立つ風光明媚神社であった。江戸湾が一望できた。

住所 大田区中央5-4-2 最寄り駅 都営1号線
 西馬込駅
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