筏道と鵜ノ木街道の分かれ場所にある道標と藤森稲荷


環状八号線から左手に稲荷社を見て、登る坂が『ぬめり坂』である。坂を登ると二股に分かれる道となる、この分かれ道に写真の青面金剛があり、左前に道標(角柱)がある。
案内柱写真道標は昭和3年(1928)の造立である、正面には「池上本門寺大森・矢口新田神社川崎」、右側「東てふふゑき久が原五反田方面」、左側に「峯御嶽神社奥沢・大岡山 洗足池方面」とある。
右の道を行くと「鵜ノ木街道」と呼ばれた古道である、西部八幡神社、久が原出世観音、道々橋八幡、道々橋の樹林寺に出て長慶寺から嶺道を登り中原街道に出る、右に洗足池がある。嶺道を登らずに右の道を行くと(株)学研前の稲荷坂・貝塚坂を経て夫婦坂に出て荏原町・中延に行ける。
左の道を行くと、鵜ノ木八幡神社、左の坂を下り新田神社、環八沿いの白山神社、大嶽神社は経て世田谷へ行く道である。この道は筏道の一つであり、もう一つは新田神社の裏から六郷用水沿いに世田谷へ向かう道である。

青面金剛写真

↑●写真の青面金剛は延宝5年(1677)造立。駒形、武蔵南荏原郡六郷庄鵜ノ木村の人々、高さ120センチ。幅52センチほどである。(『大田区の文化財 第37集 大田区の石造遺物 ー大田区指定文化財・金石文を中心にー』大田区教育委員会 2010年刊)右写真、坂上から見た「ぬめり坂」
ぬめり坂の由来
 「調布鵜ノ木に用水を渡って鬱蒼とした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂であるが、ぬめって上がれなかった。付近の豪家の美しい娘が人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生き埋めになった。以来その坂は通行容易になり大いに付近は繁栄したと言う。」(『大森区史』 東京市大森区役所 昭和14年(1939)刊)写真右

藤森稲荷写真

藤森稲荷社について
 由緒は分からない、元は南久が原一丁目25番地の岡上にあったが、2007年に「ぬめり坂」への途中左側に移ったらしい。元位置は六郷用水南北引き分けを見下ろす岡の上であった。住所 南久が原2ー29−1