国芳武者絵 英雄六家撰……国芳晩年期の武者絵
浮世絵
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上「英雄六家撰 新田左中将義貞」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 

下「英雄六家撰 楠 正行(くすのき まさつら)」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 

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上「英雄六家撰 鬼小嶋弥太郎一忠」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 

下「英雄六家撰 恩地左近萬一」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 


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上「英雄六家撰 山本勘助入道鬼斉」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 

下「英雄六家撰 馬場美濃守信房」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・年月印 福島和十郎・村松源六・嘉永六年(1853)10月、版元・林家庄五郎 彫り・横川彫竹 横川竹二郎 国立国会図書館デジタル化資料 


ー各場面の補足(上左から)ー

新田義興(にったよしおき)は新田義貞の次男である。大田区矢口渡で奸計に遇い、配下の10名と共に渡し船で自刃した。浄瑠璃・歌舞伎の『神撰矢口渡』で有名である。新田神社は、新田義貞を祭る神社であり、江戸時代には、徳川家との関係から大いに賑わったと言う。

楠 正行は、楠木正成の意志を継ぎ、四條畷の戦いで大軍を相手に戦い戦死した。国芳は四條畷の戦い場面を何度か描いている。右側から矢が飛んでくる構図もある。

(ウィキペディア)
鬼小嶋弥太郎一忠は、上杉謙信の配下の武士と言われるが、実在が疑われており架空の人物であろう。しかし、挿話があり、歌舞伎にも取り上げられており人気の武者である。

恩地左近萬一は、楠木正成にしたがった武士である。楠公八臣の一人と言われ、千早城や飯山上の戦いに従い、最後は四條畷の戦いで討死にした。彼が築いたと言われる恩地城は、大阪八尾市恩智仲町にあり、現在は公園になっている。

山本勘助は、武田信玄の軍師である。川中島(1561年)の戦いで上杉謙信の軍に囲まれた勘助は、信玄を護るため多くの武将が討ち死にした、その中に山本勘助入道鬼斉がいた。架空の人物と思われたが、近年、書簡が発見され実在が確認された。

馬場美濃守信房は、武田信玄の武将である。信玄の死後、息子勝頼に疎まれた。織田・徳川連合軍と長篠の戦いで、獅子奮迅の働きをしてして死に場所を得た。

晩年の国芳の武者絵である。若い時と違い落ち着きがあるが、鎧に包まれた武者の肉体が膨らんでくるような力強さがない。ロックからジャズに移ったようだ。このシリーズ発売は下売り印から幕末の嘉永年間である。

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