奇想の浮世絵師・歌川国芳の美人画 和服の美意識が冴える |
|
|
上「婦女往来の図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)、名主印・米良太一郎・村田平右衛門 下 弘化4年から嘉永年間
版元・海老林 海老屋林之助 国立国会図書館デジタル化資料
●国芳の晩年期の絵で江戸庶民の生活風景を描いた。弘化4年(1847)より、名主印は2名となった下賣の浮世絵である。国芳は背景をシルエットとで構成した。このあたりが国芳の洒落たところである、左の着物の柄は大胆である。私には、甲冑の兜のように見えるがどうであろうか。下の浮世絵と比べると、シルエットで遠近感を出しているが、墨の濃さが同じで平坦であり動きがない思う。
|
国芳の構成力(デザイン)は確かである、生身の粋な江戸女達 |
|
|
|
●「駒形の朝霧」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 名主印・村田平右衛門 天保14年から 弘化4年(1843〜1847)
版元・佐野喜 佐野屋喜衛兵 国立国会図書館デジタル化資料
|
●駒形の朝霧
駒形近くの料理屋の女性たちであろうか、朝参りらしく浅草寺に向かうところで、先頭が女将、次が子供を背負った奉公人、最後が娘で裾をからげて歩いている。駕籠は人と反対方向に進む、駕籠かきの三人が明るく描かれており、すぐ近くにいることを示す、他の駕籠はシルエットでやや遠くにあることを示す、シルエットは遠くに行くほど濃くなり、遠景は墨色である。背景は右への動きを表す構図である。また駕籠は右への動きを表している、駕籠は遊郭吉原からの朝帰り客であろう。シルエットの寺院は、浅草駒形堂である。
国芳は、あくまでも個人的感想だが、意外と緻密で、絵の内容に沿った事物(人・景色など)で構成する真面目さがある。また、和服の着こなしや柄に注意を払っている。国芳らしい写実性は、右の女性(娘か)が、腰を落とした「かったるい」姿である。普通はこんな風に描かないでしょう。
|
|
●「隅田川之朝霧」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・衣笠房次郎・濱彌兵衛 弘化4年頃(1843ー1847)
版元・遠又 遠州屋又兵衛 堀江町の団扇問屋 国立国会図書館デジタル化資料 |
●隅田川之朝霧
墨田の桜は、8代将軍 吉宗が植林して、江戸庶民の桜見物の地
「墨亭の桜」と言われた。植林の開始は享保2年で、追加植林が享保11年と言う説、「 いや、享保12年である」など諸説がある。上の絵の背景には桜が描かれている。左の桜の木の描き方は独特で、春の霞で暈けているようである。右の女性の持つ手拭いは、微風でたなびいているようだ。この辺の表現が国芳らしいところである。真ん中の女性は、芸者か、優雅にキセルを手に持っている。
|
|
●「東都東叡山」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・吉村源太郎・村松源六 弘化年間末頃(1844ー1848)
版元・若宇 国立国会図書館デジタル化資料 |
●東叡山とは上野寛永寺の事である。
浮世絵の背景に見える赤い柱は、清水観音堂の舞台柱である。清水観音堂は、元禄8年頃、現在の桜ヶ岡に移築された。上野戦争でも、第二次世界大戦でも生き残ったことは驚異である。桜は有名な秋色桜である、右画面には、有名な曲がり桜が見える。一勇斉国芳の落款枠(瓢箪)は、「隅田川之朝霧」と同じであり、同時期の板行と見られる。画中にどちらも手拭いを持った女性が描かれている、こん手拭いが、どのような意味があるのか判らない。
|
|
●「甲州一連寺地内」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・村松源六・吉村源太郎 弘化年間末頃 版元・和泉屋市兵衛 芝神明町の地本問屋 国立国会図書館デジタル化資料 |
●甲州一連寺地内
甲府は幕府の直轄領であり、背景には甲府の町と一蓮寺(右)、正木稲荷社、左側の幟がはためく所は亀屋座であろう。国芳の美人画は武者絵ほどおもしろみはないが、スナップショット的なポーズである。和服の華やかさと垢抜けた着こなしである。版元は芝神明町の和泉屋市兵衛である、近隣には、大名屋敷が多く、田舎から出てきた藩士が帰郷の時に、女性達のお土産には、華やかな衣裳と江戸の町風景であろう。其の辺りを見込んだ版元の依頼であろう。国芳は職人として見事に応えている。
|
|
●「江戸名所之内浅草金龍寺」絵・朝櫻楼国芳・一勇斉国芳(歌川国芳) 名主印・浜彌平衛
天保14から弘化4年(1843〜1847)版元・不詳 国立国会図書館デジタル化資料 |
●浅草金龍寺仲見世通り…鳩に餌をやる
浮世絵でも数多く描かれる仲見世通りである、神社でお馴染みの鳩・鶏に餌をやる親子、国芳らしい奇想が見られる、左の画面に、鳩がストップモーションで降りてくる。国芳らしい茶目である。右の着物の柄は扇子である。
浅草らしい。三枚揃いだと考えられるが、真ん中の齋号が一勇斉国芳である。おそらく、朝櫻楼国芳号が先の販売で、一勇斉国芳が二度目の摺であろう。子供が画中に描かれているので人気があり、コレクションの際に同じ摺りが集まらなかったと考えられる。
|
|
|
|
●「五節句之内睦月」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 名主印・村松源六 天保14年から弘化4年(1843〜1847)
版元・遠又 遠州屋又兵衛 国立国会図書館デジタル化資料 |
●国芳の奇想が冴える絵の構成
巨大な凧の前に、赤ん坊を抱いた女性をおき、左の子供をおぶさった女性は、足元のトンビ凧を見ている。後ろには、荷車を引いた職人が見える。三人の女性全てが、年の違う子供を抱いており、平和な正月風景である。大きな凧が、画面全体に緊張感を与えている。緻密に計算された国芳の構成力を感じる。
|
トップ扉に戻る 幕末浮世絵目次 江戸ー奇想 北斉目次 国芳目次 |