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●毛利元寿の『梅園禽譜ー魚』に画かれた人魚 | |||||||||||||||
●梅園禽譜を調査した磯野直秀氏によれば、彼は同時代の本草学者がそうであったように「分類への志向が薄い点」にあるという、「また、珍獣や奇種などを徒に追い求めず、普段身の回りに見られる動植物を対象としていること、同時期の本草画譜から見ると実に例外的なことに実物を前にして写生(「真写」)を行っていること、写生年月日、産地、由来を性格に記していることなども注目に値する。」と言う。 |
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●江戸後期の紀州で売られた一枚物である。国立国会図書館デジタル化資料 | |||||||||||||||
河童の妖怪は人気があったようで子供向けの |
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●18世紀、河童のイメージは猿を基にしたイメージである、『和漢三才図会』には、『川太郎(河童)について子供の大きさで頭にくぼみがあり、腕は左右に通り抜け、相撲を好むなどの特長が記され、猿のような姿の図が載っている。』とある。しかし、18世紀後半になると、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(1778年)の水虎(河童)はページ上部のイラストのように、おかっぱ頭で頭頂部にくぼみが有り、体色は緑色、背中に網羅を背負う亀人間のようになり、スッポンや亀と蛙が混じった妖怪が生まれた。また、今では全国的に河童と呼ばれるが、元は関東地方のみで呼ばれた名称であった。 |
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ー鳥山石燕の河童と人魚ー |
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●左は獺と河童 ●右は人魚 |
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「百鬼夜行 3巻」鳥山石燕 版元・長野屋勘吉 文化2年(1805)鳥山石燕(1714〜1788)は、本名佐野豊房、狩野家表絵師・下谷御士町に連なる狩野玉燕周信の門下で町絵師であろう。喜多川歌麿、恋川春町、歌川豊春などを教える。 ● 上右の浮世絵は月岡芳年が描いた「和漢百物語 白藤源太」(国立国会図書館デジタル化資料) 白藤源太は相撲取りで、彼の河童退治は江戸庶民に良く知られた話であった。河童は広く知られた話で色々な取り上げ方をされている。 |
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●豊後国日田で捕らえられた河童の図(部分) 寛永年間(1624〜1644) ●北斉漫画 河童を捕まえようと尻を見せる男。国立国会図書館デジタル化資料 | |||||||||||||||
―おかっぱ頭の子供達― |
●江戸時代、幼児は御河童(おかっぱ)頭であった。
岩波書店の「広辞苑 第4版」によれば「頭髪のまんなかを剃り、まわりを残したもの。→おかっぱ」となっている。三省堂の「大辞林」でも同じような記述である。浮世絵を見るとおかっぱ頭にも色々あり、男の子・女の子の区別もあったようである。
●子供のおかっぱ頭を見る。 子供の遊び浮世絵を見る |
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●「当世好物八景 子供好」喜多川歌麿 東京国立博物館蔵 |
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●『河童とはなにか【歴博フォーラム 民俗展示の新構築】』
国立歴史民俗博物館 2014年刊 『太陽別冊 日本のこころ 170 妖怪絵巻 日本の異界をのぞく』平凡社 2010年刊 |
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《参考図書 カッパについて》 『日本異界絵巻』宮田 登・小松和彦・鎌田東二著 河出書房新社 1990年刊 『日本の妖怪』監修・岩井宏實 河出書房新社 1990年刊 |
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