《モーリシャス島の歴史……破壊される自然 後編》
1638年 島にはオランダ人の移住地がすでに出来あがっていた


オランダによる島の開拓……
 彼らは島の黒檀(こくたん)を 開発する一方、サトウキビと綿花の栽培を始めた。また歓迎されないことに島を刑務所として利用した。 また移住者により豚やサルが島に持ち込まれた。オランダのモーリシャス島の植民地化は、1644年(または1638年)から始まり、1698年から1710年にかけてモーリシャス島を所有した。

フランスに所有権が移る……
 1715年には、フランスが所有権を得てフランス島と改名し、当初はフランス東インド会社が支配していたが、1767年からはフランス政府が直接支配した。 総督になったマ・エ・ド・ラ・プールドネは、少量しか取れないサトウキビの生産をあげるために、大規模なプランテーションを作った。参考ピエール・ボワールの冒険

1814年にイギリスに所有権が移る……
 1805年からのナポレオン戦争で、島はインド航路の商船にとって脅威となったためイギリスが占領、1814年にはパリ条約によりイギリスの所有権がみとめられて「モーリシャス」と改名した。しかし条約には、島民が固有の法律、習俗、宗教を保有することが認められていたので、今でもフランスの習慣や言語が残っている。このことはダーウィンの航海記にも記載されている。

モーリシャスの独立……
 イギリスは、1825年に総統府をもうけて本格的支配を始めた。その後、第一世界大戦、第二次世界大戦を経て1968年に独立した。モーリシャスの経済はサトウキビに依存しており、栽培面積は国土の5分の2、可耕地の5分の4以上を占めている。モーリシャス島は、大航海時代にインド航路の便利な寄港地として利用された。
  港はポートルイスだけだが、インド洋の戦略上重要な位置にあるために軍事的価値も高く、現在でも船舶の利用が多い。 そのため、島は大国の植民地となり何度も支配者が代わった。経済的には、サトウキビ栽培の開墾やプランテーション開発で、その資源は大事な輸出品であった。

《マスカリン諸島のドードーの進化について》


モーリシャス島には、哺乳類では2種類のコウモリ、爬虫類も2種類、ヘビ、あとは鳥類だけという、ドードーの祖先にとって、敵となる哺乳類のいない理想的な住処であった。そのために飛んで逃げることや、餌を求めて遠くまでいく必要もなかった。また太ることが 生存競争に有利なために、徐々に飛ぶことを忘れてしまったに違いない。サモアのオオハシバトと違い、今のハトからは想像出来ないほどの巨大な姿も、豊かな自然がくれたものである。
祖先が同じハトが、全く別の姿になるまでどのぐらいの時間経過したのであろうか。何万年か、何千年かは想像することすら出来ない。
森の写真       

発見当初の無人島で、動物たちの楽園であった頃の自然は大部分が破壊され、全島を覆っていた鬱蒼たる原生林も伐採されてなくなり、まったくその姿を変えてしまった。現在の島の風景から昔の姿を想像することはできない。 参考「モーリシャス紀行」 で、美しい写真をどうぞ

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