〈モーリシャス島の発見……前編〉
●最初のモーリシャス島の発見者はアラブ商人
1500年頃の地図には、島がアラビア語で記載されていた。人が住むことはなかったが、ときどきアラブ商人やマレー人達が休息のため船で訪れていたらしい。
●1507年
マダガスカル島から東方に向かって航海していたキャプテン・ディアゴ・フェルナンデス・ペレイラは、小さな火山島を発見した。これがヨーロッパ人によるモーリシャス島の発見であるが、彼らは食料や水を補給しただけで島に住むことはなかった。
●1512年
ポルトガル人航海者ペドル・マスカレニャス(ペドロ・マスカレーナス)が島を訪れた。彼が自分の名前からマスカリーン諸島と名ずけた。一番大きな島にセルネ、次の島にマスカレーニャス、小さな島にロドリゲスと名付けた。この時以後、ポルトガル人が島に住み着き、ヤギやニワトリを持ち込んだらしい。当然、彼らはドードーを見ているはずであるが何の記録も残されていない。
●1598年3月
オランダのアムステルダムを出港したオランダ人ヤーコプ・コーネリアス・ファン・ネック大将の率いる遠征隊が、出発から6か月後にモーリシャス島にやってきた。この遠征隊はのちに『オランダ東インド会社』創設となる歴史的航海で有名となった。
食料や水の不足に悩んでいた彼らの前に、緑豊かな火山島が姿をあらわした、彼らはすぐに上陸した。この時、島は無人であったが、すでにオランダ人たちは島を家畜類の牧草地および繁殖地として、また自生の動物の肉の供給地として利用していた。
ファン・ネックが時のオランダ提督モーリッツ伯爵に敬意を表して、島をモーリシャス、レユニオン、ロドリゲス島と名ずけた。参考ファン・ネックの航路図 モーリシャス島地図
1601年に出版された『ファン・ネックの航海記』から……
彼は島を見た最初の印象を『この島は非常に高い山岳地で、山の大部分が鬱蒼たる原生林で覆われている。土地そのものは、石ころだらけであるが非常に肥沃で、原生林がびっしりと生え、ほとんど踏みいる隙間のなく生い茂っている。この原生林には黒檀が見いだされるが、これほど見事な黒檀はここ以外にはあるまい思われる。コールタールのように黒く、骨のようになめらかである』と書いている。
次のページにつづく
|