"太った醜い標本の謎、何故太ったドードーになったのか、写真の与えた影響


  私は下のドードー写真はロンドン万国博覧会に出品された「ドードー標本」と考える。根拠となるのは、古い資料や本に掲載されている写真が全て同じ写真である事からである。ロンドン万国博覧会の公式カタログから複写使用したのではないかと考えている。この写真がドードーの姿として多くの本を飾ったに違いない。
ロンドン万国博覧会では、当時、発明されたダゲレオタイプ(カメラ)でカタログが多数作られた。全部の出品物を撮影したとも言われる。また本を参考に、多くのドードー標本が造られた。
 当時、本としては高価なものであったろう。これら写真の本は、古本の稀覯本として日本古書店でも手に入る、但し稀覯本で70万円以上する。(前ページのキクオ書店、2003年時点)
「ドードー標本」ロンドン万国博覧会(1851年)の展示 と思われる。

ロンドン万国博物館公式図録(カタログ)国立国会図書館
 全3冊 色刷石版図版5葉及び銅版図版他、挿絵多数

 (1)「1851年ロンドン万国博覧会公式報告及び出陳品図録 全3冊 色刷石版図版5葉及び銅版図版他挿絵多数入る」、
 (2)
「1851年ロンドン万国博覧会公式報告及び出陳品図録 
 (3)工芸・(4)美術品 色刷石版図版5葉及び銅版図版他挿絵多数入」などである。
 
  またダゲレオタイプ写真が掲載された「水晶宮の歴史と解説」ジョン・タリス著 三巻も出版された。当然、受賞したドードーも掲載されたはずである。上の写真がおそらくそれであろうと推理する。

〈展示された復元模型〉
作られた標本は、精巧な復元模型で他の鳥の羽を使ったものらしい。スタイルも昔の絵を参考にしたのであろう。しかし、その影響は大きく80数年にわたり水晶宮で展示され、人々にドードーのイメージを植え付けたのである。そのために、モーリシャス島でドードーの骨が発見され、骨格が精巧に再現されるまで、下の写真のような復元模型が、多くの博物館で展示されたのである。
別ページの キッチナー博士の復元模型と比べてほしい。


写真はオックスフォード大学に展示されていたらしいドードー復元模型。他の博物館でも同じような標本が展示された。羽などはアヒルやガチョウなどのもので代用された。現在は新しいものになっている。


博物館の復元標本画
 詳しいことは分からないが、写真右にドードーの頭部と足の標本があるのが見える、イギリスのオックスフォード博物館の復元風景かもしれない。 (2006.08)

ロンドン万国博覧会がカメラ(写真)を普及させた……
    私(日本大学芸術学部写真科卒)も大学で写真史を学んだが、写真は誰が発明して、どのように写真技術が進んだかなどの技術史が主体であり、写真が社会に与えた影響や広がりについての講義はなかった。ロンドン博覧会は、生まれたばかりの写真技術が使われ、展示品全てが撮影された。それが大型の写真図録豪華本(カタログ)がつくられた、
  本はヨーロッパ各国に持ち帰られて多くの人に見られた。結果として、写真の特質である写実性が認識され社会に大きな影響を与えた。写真は新しいメディアとして認識された。カメラを使うことを決めた主催者の決定に敬意を覚える。社会が新しい時代を迎えるときは、このような新しい取り込みが簡単に行われる。ビクトリア女王とアルバート殿下の熱意が大きく歴史を動かした、この事実は重要である。

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