〈水晶宮の生まれるまで……Sir Joseph Paxton〉 ● 大睡蓮「ヴィクトリア女王」の茎構造から生まれたガラス張りの温室 南米ギアナからもたらされた 睡蓮は、パクストンが開花に成功して「ヴィクトリア・レギア」と名付けられた。この大きな葉を支える茎構造から『屋根を支える横梁に、溝状にくりぬいた軽い木材を取り入れ、それを支えるのには、管状の軽い鉄柱を用いる。そうすれば、横梁と鉄柱がともに雨樋としての役割を果たすことが出来るようになるのだ』(注一)これでガラス張りの温室「チャッツワス」が出来た。この経験が水晶宮の建設に生かされた。左の写真は建設中の水晶宮(写真・国立国会図書館) 右の写真は パクストンが造った温室「チャッツワス」(ウィキペディより) 〈睡蓮〉 パクストンは子供を睡蓮の花に乗せて強度を試したと言う。
パクストンの登場ー水晶宮の誕生 公爵邸の庭園技師であったパクストン(J. Paxton)は、当時生まれた新しい世代の技術者である。勤勉で独創性にとんでいた。数々のガラス張り温室を造ったパクストンより会場建築案が王立委員会に持ち込まれた。パクストンが、1850年7月6日「Illustrated London News」にその設計図を公開したところ、世論に受けいられ話題となった。そこで王立委員会は彼の設計を採用した。 当時生まれた最新技術の鉄とガラスを駆使し明るい建物が生まれた。不採用になった煉瓦造りの建物とは違い新しい時代の到来を予感させた。工場で製造された部品を現地で組み立てるプレハブ工法である。 長さ約563m、幅約124mの建物がわずか10カ月(又は7ヵ月)という短期間で完成された。(余談だが日本の日光東照宮も17ヶ月で完成した)使われたガラスの数は30万枚である。内部は赤、青、白、黄色で塗り分けられ、建物外部は白かストーンカラー(灰色または青灰色)で、縁は青で飾られた。この美しい建物に水晶宮というニックネームを与えたのは、1850年11月2日のパンチ誌(Punch)であるという。
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