キッチナー博士のドードー復元

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1990年、イギリス、スコットランド博物館のアンドリュー・キッチナー博士が、ドードー復元を思いたち資料を検証するうちに、従来のドードーの姿に疑問をもち科学的検証で、今までと違う新しいドードー像を造り上げた。2体の実物大模型で、エジンバラのスコットランド・ロイヤル博物館とオックスフォード大学博物館にある。

《ドードーは本当に太っていたか?》
 彼はいままでの復元剥製や絵が確かな資料によるものでなく、ほとんどすべてが、 有名なルーラント・サーフェリー(Roelant Savery)の絵をもとにしているに思いついた。この絵は、モーリシャス島で、ドードー をスケッチしたものでなく、ヨーロッパで見世物になっている時のドードーを描いたものである。この時のドードーは、長い航海の船上で、狭いオリでの運動不足や過食によって異常に太っていたのかも知れないと考えた。

古いドードー記録また、ルーラント・サーフェリー(Roelant Savery)が売るために意図して、戯画的におもしろおかしく描いたかも知れない。かれはドードーの絵で一財産築いたといわれているのだから。その証拠に、古い航海記などの記述やスケッ チを見ると、あのように太ったドードーを描いたものはない。右の本は1991年オランダハーグで発見された古い資料である。150年以上行方不明だったもの。(絵をクリックで大きくなります)

《ドードーは足が遅かったか……?》  
  信頼できる、生きた
ドードーの最後の視認記録は、1662年、難破してモーリシャス島にたどりついたオランダ人フォルクアルト・イヴァーセンの記録である。
 どうやら、この時のモーリシャス島は無人島であったらしく、難破した船の乗組員は島中を走り回り、人を探したが見つけることはできなかった。 野生動物 は多くいたが、ドードーは一羽も見つからなかった。 しかし、歩いてわたれる海岸から少し離れた島で、数羽のドードーを見た。 彼らは島に渡り、ドードーや鳥を捕まえて食べた。


本意ラスト 《そのときの様子を、次のように書いている………
『ほかの鳥に混じって、インド諸国の人が「doddaerssen」と呼ぶ鳥もいた。それらはガチョウよりも大きいが、飛べなかった。 翼のかわりに小さなひらひらがたれさがっていた。だが、ひじょうに早く走ることが出来た』と記載している。
 彼の記録に寄れば、モーリシャス本島のドードーはすでに絶滅していたらしく、彼らが食べたドードーが、最後の数羽だったらしい。 この記録が確かならば、言われるようなのろまで捕まえやすいドードーではない。彼は捕まえた様子を次のように書いている。
『われわれが一羽の脚をつかまえ、それが叫び声を発すると、ほかの数羽も走ってやってきて、捕らわれた奴を助けようとし、自分たちまで捕まってしまった』とある。

 ドードーはこのように愚鈍どころか、仲間意識のある賢い鳥だった。逃げるだけなら速く走れた。 他の航海記の記録でも、走れないほど太っていたとは書かれていない。 次のページに続く


《原生林の中のドードー》
 人のいない頃のドードーは、自由に原生林の深い森の中で生きていた。写真は水を飲みに来ところを想像で合成したものである。

 資料によれば、ドードーは水を怖がらなかったという。このドードー標本は1992年(株)情報出版局から出版された「絶滅動物の予言」五十嵐淳平、岡部聡、村田真一著の中に掲載されている図版(標本)を使用しています。キッチナー博士の復元標本です。
  この本は、ドードーの故郷モーリシャス島を現地取材していますので、正確で詳しい情報が載っています。今は、このような原生林を彷彿させる森は残っていません。切り倒されてプランテーションになってしまいました。ドードーの背景は日本の屋久島の風景を合成したものです。島の雰囲気はこのようでなかったかと想像しています。
参考 モーリシャス島の自然 『モーリシャス紀行』を見る

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