アイディアを凝らした色々な江戸双六の世界から明治へ
「初日影名所双六」絵師不明 版元・是真  彫り・邑昌 年代不明
正月などに大人と子供が一緒になって楽しむ双六。江戸と江戸近郊の名所をあげ、そこに関連する人物を影絵にして詠んだ歌から当てる双六のようだ。一種の教育双六である。国立国会図書館デジタル化資料所蔵

国字手本出世双六」絵師不明 版元・三光斉・浅草仲田 年代不明 教育双六 国立国会図書館デジタル化資料所蔵

教育双六藍色一色摺の双六は国字を教えるための教育双六であろう。国字とは漢字(中国で作られた文字)にならって別の国で作られた漢字と言われる。日本製漢字と言ったところか。双六を見ると国字を於シェルと言うより、「犬も歩けば棒にあたる」というような頓知的な教えに思える。上がりは京都の朝廷で褒美を貰う絵である、江戸から京都までの旅を教訓的に遊ぶ双六か。国立国会図書館デジタル化資料所蔵



「俳優楽屋双六」絵師・一寿斉国貞(歌川豊国三代) 版元・海老屋林之助 堀江町 彫り・松島彫政 松島政吉 文久3年(1863)
三階建ての歌舞伎役者の楽屋風景双六である。右下一階が入口で楽屋の名前が貼ってあり、その楽屋にあった役者が描かれている。途中には「作者部屋」もあり河竹新七がいる。座頭部屋などあり面白い。上がりは中央真ん中で当代の名優が揃っている。国立国会図書館デジタル化資料所蔵

「俳優楽屋双六」絵師・一寿斉国貞(歌川豊国三代) 版元・海老屋林之助 堀江町 彫り・松島彫政 松島政吉 文久3年(1863)

三階建ての歌舞伎役者の楽屋風景双六である。右下一階が入口で楽屋の名前が貼ってあり、その楽屋にあった役者が描かれている。途中には「作者部屋」もあり河竹新七がいる。座頭部屋などあり面白い。上がりは中央真ん中で当代の名優が揃っている。国立国会図書館デジタル化資料所蔵

「中村芝翫当双六」絵師・五渡亭国貞(歌川豊国三代)版元・新勢堂 伊勢屋小兵衛 版元応需・志満山人 年代不明
中村芝翫の歌舞伎演目双六 扮した役柄が絵と文でコマになっている。役者双六 国立国会図書館デジタル化資料所蔵

「東海道五十三次名所一覧双六」絵師・五雲亭貞秀 版元・辻文 辻岡屋文助 横山町 文久2年(1862)国立国会図書館デジタル化資料所蔵

 
貞秀はのち横浜絵で知られる絵師である。古典的な螺旋回りの道中双六又は名所双六とも言われる。

江戸っ子の夢である「お伊勢参り」を双六にした名所道中双六である。実際にはない地形を俯瞰視線で描いている。道中の順序は江戸っ子には当たり前であったろう。道中双六は幕末頃に盛んになったようだ。拡大表示




左「打球合戦双六」絵師・一登斉芳綱 詳細不明 国立国会図書館デジタル化資料所蔵
この打球双六はどうやって遊ぶのか分からない。おそらく、駒がありサイコロの数などにより進んだり下がったりするのではないか。後年の軍人(軍隊)将棋のように遊ぶのではないだろうか。


右「宙乗壽語六」(ちゅうのりすごろく)絵師・豊原国周 版元・越嘉(えつか)彫工・匝夛吉 明治元年(1868)、歌舞伎役者が宙乗り(宙吊り)や雲に乗っている。一枚絵としてもまとまりが良く、現代のイラストのようである。ポーズが面白く、
凧まで飛んでいる。役者双六 国立国会図書館デジタル化資料所蔵 

「参宮上京道中一覧双六」絵師・一立斉広重(歌川広重)版元・虹英堂 
蔦屋吉蔵南伝馬町一丁目 安政四年(1857) 国立国会図書館デジタル化資料所蔵



「英勇揃伊呂波双六」絵師・一猛齋芳虎 版元・伊勢屋兼吉 彫り・彫工長 片田彫長 元治一年(1864) 国立国会図書館デジタル化資料所蔵 
振り出しに笹竜胆家紋(ささりんどう)、源頼朝家紋の将軍が見える、これは源頼朝に仮託した将軍家茂であり、上洛風景であろうか。伊呂波カルタには古今の英雄が並ぶ、カルタはばらまかれたように散らされ、探す楽しみもある。カルタの頭文字は英雄の名前になっている。上がりは京の朝廷である。一種の道中双六である。 将軍家茂の上洛風景

「奥奉公出世双六」絵師・国貞(歌川豊国三代)版元・上州屋重蔵 慶応元年(1865)国立国会図書館デジタル化資料所蔵、女の子向けの双六、女子の世界は王子と王女、これは世界共通かもしれない。江戸時代は大奥が双六の世界。


仏法双六詳細不明 初期の一色摺り 国立国会図書館デジタル化資料所蔵。
日本での双六は仏法双六(寛永頃)と言われている。初心者に仏の教えを優しく教えるのに使われたようである。教育双六の始めて言って良い。下記の双六は天台宗のようである。拡大表示



「音曲諸芸めいしょ双六」詳細不明 国立国会図書館デジタル化資料所蔵 三重の名所をおんぎょく(音曲)で紹介する。中には「猫の川」とか「長唄の滝」があり音楽だけでなく、自然の音も入るようだ。
 《明治時代の双六 文明開化滑稽双六》

新板忠臣蔵七段目祇園町飛隻六」詳細不明、
  京都で売られたもので、一色摺りである。珍しく飛隻六とかかれている。また大きさも307×440ミリで、江戸時代の双六より大きい、おそらく明治の印刷が始まってから刷りであろう。印刷になると印刷用紙が大きくなり、判型の大きな双六が可能になった。。

双六の袋(表紙) 絵・歌川芳幾 
彫師・彫辰

「文明滑稽寿語録」絵・一恵斉芳幾(歌川芳幾)明治4年(1871)版元・辻文 辻岡屋文助 彫り・渡辺彫栄 大きさは不明 国立国会図書館デジタル化資料

明治になり、機関車、気球、動力船など欧米諸国の文明が取り入れられ、庶民は面食らい、誤った使い方をした。それら滑稽な仕草を集めたのが、上記の「文明滑稽寿語録」である。

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