古くから綺麗な流れの多摩川(玉川)浮世絵に描かれた川辺

この浮世絵の描かれた場所は、調布付近と言われいる。江戸時代の玉川は大変きれいな川で、鮎などの川魚が捕れた。その鮎を捕る鵜飼いも行われていたという行楽の場所でもあった。浮世絵にも網を打つ漁師らしき人物が描かれている。また、対岸に平間村の家屋が見えるので、場所は「丸子の渡し」付近だと思われる。多摩川は漁業として川魚、生活物の運搬、産業としての砂利採取(川は緩やかに蛇行して砂利が堆積)、上流から下流への木材運搬の道として利用など、多様な面があり人間生活に関わりの深い川でした。

○歌川広重 江戸近郊八景「玉川秋月」版元「喜鶴」と左側に狂歌を刷り込んだ「大盃堂開板」がある。
高橋松亭(弘明)の多摩川を描いた版画2枚

二枚の絵は、高橋松亭(弘明)の玉川を描いた作品である。
 外側の絵は渡邊版画店の新作版画「玉川」大正13年(1924)から昭和10年(1935)である。舟の乗って家に帰る情景か。隣は同じく渡邊版画店の新作版画「玉川の納涼」明治42年(1909)から大正5年(1916)である。やや類型化した構図であり新鮮味に欠ける。
このあたりから江戸へ送る物資・米が舟積みされ川を下った。渡し船との衝突を避けるため、渡し船の航路では帆を下ろして減速したと言われる。多摩川は物資の流通路
でもあった。


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