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久が原の高台に創られた村の鎮守社 八幡(久原東部八幡)神社






狛犬は明治11年(1878)、「氏子中」の寄進である。右に「子取りの阿像」左に「吽像」である。阿像は足下に、後ろ向きの子獅子を抱えている。台座は3段に重ねてあり、初期の台座は雨のため浸食されている。(写真参照)
台座には世話人の名前が12名ほど記載されている。石工名は2名、剥落が激しく「清三郎 」しか確認できない。


伝承によれば、神護元年(765)9月宇佐八幡宮より勧請といわれる。建物は文久2年(1862)と伝わるがはっきりと確認できない。社殿は入母屋造りで屋根は茅葺き、軒廻りは蟇股(かえるまた)、斗供(ときょう)などが造られて美しいものである。大田区でも貴重な建物(指定文化財)である。同じ頃の建物が久原西部八幡神社にある、現在稲荷神社として祭られている。

久が原でも一番高いところにあり、江戸期に村が東西に二分されたが、馬込領久が原村の鎮守として信仰を集めた。周りには細い道が多く道祖神なども祭られている。久が原図書館前の道から上がる。近くに、久原西部八幡神社があるので立ち寄ってみたい。
祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと)(日本書紀)である。応神天皇である。

拝殿の向拝木鼻の霊獣・犀(サイ)詳細は次ページ 住所 久が原2-18-4
久が原図書館近く
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