東八幡神社は、江戸時代には湯坂八幡と言われた。祭神は応神天皇である、皇祖神として皇室の崇敬も篤く、また八幡大菩薩といわれ源氏の氏神として武士の守り神として参拝された。鎌倉時代には各地に勧請された、東八幡神社も創建が建長2年(1250)といわれるから、おそらく鎌倉時代中頃に勧請されたのであろう。かつては樹齢500年の杉大木がある2000坪の神域を有する神社であった。
江戸時代になると幕府の守り神として多くの崇敬を集めた。多摩川河畔にあり、村の鎮守様として祭りの時には多くの人を集めたに違いない。
残念なことに江戸時代に再建された社殿は、第二次大戦の戦火で失われた。残されたものは狛犬だけであったろう。おそらく狛犬も、焼夷弾をあびて黒く焼け焦げてしまったのではないだろうか。
上の写真は多摩川土手道から、東八幡神社を見たところである。手前の道は多摩川土手沿いの道路、左に行くと六郷橋にいく、右はすぐ近くに「矢口渡し」があり、下丸子方向である。信号の道を行くと
新田神社をすぎ、
鵜ノ木八幡方向に向かう、この道は
筏道である。六郷より多摩川沿いに歩き、東八幡神社を目印に歩いて来た。
鎌倉時代には、鎌倉から「下ノ道」と呼ばれた古道を通り、矢口渡しから池上道(平間道)にはいり南品川方向へつながった。鎌倉時代以前には、平間道と言われた道で今の綱島から「平間の渡し」を渡り池上道にいたった。