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●池波正太郎氏は品川区戸越に住んでいた。池上本門寺にも近く、御会式などで当然この坂は昇った経験があるはずであり、頭上からおそわれることがどんなに不利かわかっていた。この階段を登ると、逃れられない場所に追いつめられた平蔵の心の内がよく分かるである。 |
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●絵図で見ると、階段踊り場を五つ確認できるがこのようになだらかではない。高さが低く、現在の感じでは倍ぐらいの高さに思える。下の全体図を見るとわかるが山の周辺の感じが変わっている。アップは下の写真中央部右側である。 ●「江戸名所図会 本門寺」斉藤幸雄著 長谷川雪旦画(天保5〜7年)より部分 |
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●「此経難持坂」の由来を書いた木柱。登り切った右側にある、そのわきに、人が隠れるほどの大きな石灯籠があるが、いつからあるのか不明。凄い奴はここに潜んで平蔵を待ちかまえていたのかもしれない。 ●雪の此経難持坂 2008年 ●右の古写真は、明治32年(1902) 3月頃の撮影、(「旅の家つと」12号) 国立国会図書館デジタル蔵 |
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●高橋松亭(弘明) 新作版画「池上夜の雪」大正13年(1924)から昭和10年(1935)。絵の場所は特定できない。寸法177×117ミリ 拡大表示 ●「江戸名所図絵 池上」 歌川広重(2代)文久2年 (1862)拡大表示 ●「江戸名所図絵 池上」 歌川広重(2代)文久2年 (1862)拡大表示 |
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