『此経難持坂の決闘』(池波正太郎)雪積もる階段で刺客に襲われる長谷川平蔵
階段上
  『此経難持坂』をあと5〜6段残して見た写真、雪が降っていた、午後遅い時間なので暗かったのでモノクロにしてみた。傘越しに見る仁王門方向はこのようにやや霞んで見えた。また、あと少しであるという油断から視界も狭く左右に注意はしていなかったであろう。坂は元禄期(1688-1704)に補修を加えられているが、あまり変化はしていないと言う。

階段傾斜写真
上からおそわれたら逃げ場がない。また平蔵が凄い奴の襲撃をかわし、体当たりで落とした。この時の視線は、上のモノクロ写真のようだった。これに雪をかぶせると石段は見づらくなり、転げ落ちる意外にない。平蔵も転げ落ちるように追いかけたに違いない。
 ところで、決闘は寺社内で行われたから、寺社奉行に届け出なければいけないのでしょうね、池上本門寺は徳川家とも関係が深いので、いかに『盗賊改め』といっても一応の釈明がいるのではないか。

右上写真は、総門から入り、此経難持坂にちかずいて見上げたところ、右の写真は一段目あたりから見上げたところ。ややきつく感じる。石段はひとつが18センチの高さがあり、傾斜角度は30度くらい。全部で96段。

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