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八百屋お七とは……
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●可憐な「八百屋お七」の誕生…… 人形浄瑠璃の『伊達娘恋緋鹿子』(だてむすめこいのひかのこ)から、雪の夜、火の見櫓に登り半鐘(または太鼓)を打つお七の姿が知られるようになりました。『火事ならば町の木戸が開く、彼(寺小姓吉三郎)に会い刀をわたすことができる』その思いひとつで、禁じられた半鐘を乱打するお七の姿が観客の涙を誘ったのです。お七が放火の替わりに櫓の半鐘を打つ演技が登場したのは、「八百屋お七恋江戸紫」三世津打治兵衛作 中村座(1766)からと言われています。このため於七の浮世絵には火の見櫓が描かれることが多い。 歌舞伎では大阪の荒座で、嵐喜代与三郎が演じる「お七歌祭文」が当たり、それから女形が演じる演目になったといいます。特に4代と5代の岩井半四郎は評判が良く、演じる「お七」は江戸を代表する女形の演目となったといいます。歌舞伎と人形浄瑠璃の関係は深く、歌舞伎で演じられるときは、役者が人形の動きを模倣した形になります。その動きは心理状態が異常に紅葉した状態を見事に演じるのに適しています。歌舞伎では「人形振り」といい、他には「神饌矢口渡し」や「妹背山道行」などにみられます。実際の歌舞伎の舞台では人形遣いに扮した黒子が登場します。 ■歌舞伎では『八百屋お七』と言っても幾つかの演目があります。筋立てが違います。(次のページに詳細) ■映画では「八百屋お七 振り袖月夜」のタイトルで、美空ひばりが「八百屋お七」を演じています。昭和29年9月7日(1954)松田定次監督 東映京都撮影所 モノクロ 他に美空ひばりの相手役に中村錦之助、堺 駿二の出演です。 |
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ー八幡山密厳院(みつごんいん)のお七地蔵ー | |||||||||
●真言宗の寺、八幡山 密厳院山門 明治初期まで大森付近14カ所の神社の別当であった。城南地区の三大大寺のひとつである。戦火で太子堂を残し他は消失した。現在は改築されており、境内には本堂らしい屋根瓦の建物はなく、お寺らしい雰囲気はこの門構えだけである。鈴ヶ森八幡祠の別当を兼ねていた事から、八百屋お七の遺体を引き取り埋葬したと伝わる。そのためにお七地蔵があると言われる。 ●八幡山密厳院 大森北3ー5ー4 鈴ヶ森刑場を見る |
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拡大表示 お七を教えた手習いの師匠ー「藤田貞陸」の話、川越の浄土宗の大蓮寺には、お七に手習いをした藤田貞陸の墓が現存します。江戸時代、浪人していた武士が、町人の子供たちに習字を教えることは普通でした。お七16才の頃に教えていたようです。その後、川越の秋元侯に仕官をして100才まで生きたと言います。詳しくは下記の「大蓮寺ホームページ」をご覧下さい。 川越 浄土宗の寺 大蓮寺 |
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