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浮世絵の彫りや摺の技術が最高に達した嘉永期の作品、女性の髪の表現を見て欲しい、髪がふっくらと柔らかく膨らんでいる。浮世絵彫りと摺り 拡大表示 ●浮世絵の彫りや摺の技術が最高に達した嘉永期の作品、女性の髪の表現を見て欲しい、髪がふっくらと柔らかく膨らんでいる。浮世絵彫りと摺り 拡大表示
拡大表示●画題「古今名婦傳 八百屋お七」
絵師・歌川豊国・文・柳亭種彦、版元・魚栄(魚屋栄吉・下谷新黒門町)、慶応2年(1866)国立国会図書館デジタル化資料所蔵 ●国芳という絵師はおもしろい、源氏物語に題材を取った絵に、於七迄登場させた。この54枚揃いの浮世絵は、源氏物語の各場面に詩と歴史上の人物やゆかりの人物を描く見立絵である。八百屋お七がどんなゆかりでと思う。
源氏物語13巻「乙女」
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●豪華摺りの出現……最高に達した技術
嘉永6年(1853)2月、『藤岡屋日記』によれば金を使って摺った豪華な錦絵が当時の相場から5倍の価格で売り出され、評判を呼んだという。もちろんすぐに版木が没収された。弘化四年(1847)頃には役者絵に関する規制も緩み、豊国三代や国芳などの人気絵師に役者絵を描かせ、豪華な摺りにして売り上げアップを計ったと思われる。左の絵も堂々と役者名を上げ、燕子(俳名)も描いている。岩井家の当たり役八百屋於七である。
彫り・摺りとも素晴らしく、当時の値段の約3倍である100文はしたのではないかと言われる。着物には於七の「封じ文」が描かれている。髪の毛の彫りも素晴らしく、生え際のうぶ毛や髪全体の膨らみなど職人技の極致である。参考・「遊べる浮世絵」藤澤紫著 東京書籍・「浮世絵出版論」大久保純一著 吉川弘文館 浮世絵・彫りと摺り
●画題「八百屋於七 岩井粂三郎 燕子」
絵師・歌川豊国三代
版元・錦昇堂 恵比須屋庄七 江戸 照降町北側、小舟町3丁目
彫師・彫工柳三 清水柳三刀 初代朝倉伊八の弟子
改印・万延元年(1860)3月
国立国会図書館デジタル化資料所蔵
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江戸幕末頃には浮世絵の技術は頂点を迎え、豪華な浮世絵が生まれた |
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■浄瑠璃作家、「近松門左衛門」と「紀海音(きのかいおん)」の話
二人は人気を二分する浄瑠璃作家であった。近松門左衛門は有名であるが、紀海音は陰に隠れてしまった。紀海音は大坂御堂前雛屋町 禁裏御用菓子屋「鯛」屋の次男として生まれた。(1663年)父が連歌・俳諧を楽しんだおかげで子供たちも文筆を生業とした。海音は医学を身につけ、国学や和歌を契沖に学んだインテリであった。享保8年(1723)に引退するまで、大坂豊竹座の座付作家となり、生涯で約50編の戯曲を残した。竹本座と共に大坂の浄瑠璃隆盛に活躍した。墓は現在東大阪市の宝樹寺にある。
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「八百屋お七」をとり上げた文学、人形浄瑠璃、歌舞伎など
■『好色五人女』 井原西鶴 貞享3年(1686)文学作品
巻4 「恋草からげし八百屋物語」 若衆 小野川吉三郎とお七の悲恋の物語
■『八百屋お七歌祭文』 紀海音 元禄16年(1704)人形浄瑠璃 大坂荒座
■『お七歌祭文』 宝永3年(1706)歌舞伎 大坂 嵐三右衛門座
■『お七歌祭文』 吾妻三八 宝永3年(1706)歌舞伎狂言
■『中将姫京雛』 宝永5年(1708)歌舞伎 お七27回忌
■『八百屋お七歌祭文』 紀海音 浄瑠璃 正徳年間(1711〜1715)
■『潤色江戸紫』 為永太郎兵衛改作 延享元年(1744)豊竹座
■『封文栄曽我』 三世津打治兵衛 宝暦13年(1763)江戸市村座
■『八百屋お七恋江戸紫』 三世津打治兵衛 明和3年(1766)中村座
この時から、櫓に登るお七が登場しました。
■『伊達娘恋緋鹿子』 管専助 安永2年(1773) 人形浄瑠璃 大坂堀江座
■『其往昔恋江戸染』 福森久助 文化6年(1809) 江戸森田座
■『松竹梅雪曙』 河竹黙阿弥 安政3年(1856) 歌舞伎狂言 江戸市村座
■『三人吉三廓初買』 河竹黙阿弥 安政7年(1860)市村座
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〈関連ホームページ〉
「八百屋お七の墓」南縁山・圓乗寺にあります。
■「八百屋お七」ゆかりの寺
東京・白山の円乗寺、ここには「於七地蔵尊」があり、お七のお墓があることで有名です。この寺で恋に落ちたのです。駒込・吉祥寺は歌舞伎の舞台となった寺小姓
吉三郎の寺です。八千代市の長妙寺はお七の養母が遺骨をもらい墓を造ったそうです。また目黒・大円寺にもお七地蔵があります。 |
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