東海道、大森村の和中散……道中安心の常備薬

ー大森の和中散ー

江戸時代、東海道の大森宿付近には『食あたり、暑気あたり』に効く漢方薬『和中散』を売る店が三軒あったという。上記の絵は『江戸名所図絵』(斉藤月岑編 天保年間)に描かれた店の風景である。

 絵の屋号『梅木堂』店は、三軒の中でも一番の大店であろう。大森村南原にあった。もともと和中散は近江村栗太郎群地蔵村(現在の滋賀県栗東市六地蔵)の梅木が発祥の地である、東海道草津宿に近いことから、『梅木の和中散』として知られていた。創業は慶長年間と言われている。また大角家が創始であると言われるなど諸説がある。



文久3年(1863)2月13日、徳川家茂は京に向かう上洛の旅に出発した。朝廷に参内して義理の父孝明天皇にあうためである。徳川家光が上洛してから230年ぶりの上洛である。従う人数も3000人近くの大行列である。幕末、幕府の威信をかけた大イベントである。これに反応したしたのが浮世絵の歌川派である。東海道五十三次を始めとする東海道物は人気があったシリーズである、この上洛を好機ととらへ、三代歌川広重を中心に歌川派16名を集め、版元も25に及ぶ板行大企画である。東海道五十三次を下敷きに同場面に大名行列を描くという162枚の浮世絵である。文久3年(1863)から4年(1864)にかけて板行された。俗に『御上洛東海道』とか『行列東海道』と呼ばれるシリーズものである。
 上はその中の一枚、「大森」の「和中散」店前を行く大名行列である。「東海道名所大森 大もり」 文久三年(1863)四月 大黒(国)屋金之助・金次郎 広重二代
歌川派絵師16名の浮世絵・御上洛東街道シリーズ
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