■「和中散」を売る他の二軒は、西大森村中原の『志位寿朴』(開業は宝永の頃)と東大森村谷戸の『長谷川』であり、元禄10年(1688)頃の開業で近江是債斎の流れをくんでいる。
■江戸時代、薬の行商が盛んになった。近江商人と富山の売薬である。富山は気候も寒く土地はやせており、商業に出ていかねばならない事情があった。富山の薬と言えば「反魂丹」が有名である。当時は置き薬の要望は強く販路は全国に広がった。そのため、置き薬(漢方薬)の宣伝は熾烈(しれつ)で、看板や旅の紀行文、浄瑠璃、歌舞伎にまで登場する。地方の人にとっては薬の行商人が、江戸の情報をもたらすコミニュケーション・チャネルであった。富山の売薬は、全国を21組に分け販売網を組織した大規模なものである。
■江戸時代の中頃より、『進物』といわれる売薬版画(錦絵と言われていた)が登場した、薬を買うと貰える「おまけ」である。有名なのが富山の薬売りで、明治になると売薬版画以外にも紙風船や扇子、糸等も配られた。また、富山では芝居も盛んで、薬売りが販売の時に浄瑠璃を語って聞かせた。それも人気がでたひとつの理由であるという。しかし、政治的な中立を保つためか、おそらく幕府の介入をおそれて、瓦版のように時事的な話題は取り扱わなかった。
■近年になり浮世絵の版木が奇跡的に発見された、NHKでドキュメンタリー(2009年6月)になり見た方も多いと思います、この版木は持ち主の先祖が、売約版画に使おうと購入したものだと伝わっています。割られて薪になる前に奇跡的に助かった。
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