明治時代に自然と起こり、今も精神の底流にある日本的体質とは


東幸の成功が廃仏毀釈、廃藩置県等の普通なら騒然となる政策を成功させた

 東幸が不安を抱く民衆に時代の変化を実感させ、武士達には権力基盤が京都から移動することにより、維新の高揚した気分がガスを抜かれたように落ち着き、政府はその期に乗じて改革を進めたと言えそうだ。

 しかし、良いことばかりでなく、薩長に金を貸した豪商が後の財閥を築き、政商化していくのである。日本は明治維新による近代化が進んだが、同時にゆがんだ政治形態と資本主義を背負い込んだのである。政治は天皇という名の下に、戦争に突き進む体制となり、経済は近代化のもとに資本家による民衆の搾取が始まったのである。この搾取は否定された徳川時代より酷かった。

  戦艦三笠(当時の絵葉書)

  日露戦争は、日本の存亡を賭けた受け身の面があるが、その戦後処理には大変ゆがんだ精神を生んでしまった。思いもかけない日本海海戦などの大勝利により、悪いところを覆い隠し、『強い精神があれば何でも出来ると』いう日本的精神風土を造り上げた。あの、ロシア艦隊を破った日本海軍の作戦参謀・秋山さえも合理的な精神を捨てた神がかりの中に、勝利の答えを見いだしたのである。日本は神国であるという幻想が出来上がった。
その例が、乃木将軍や東郷元帥の軍人をを必要以上に神格化してしまったことである。後の陸海軍は合理的な判断でなく、彼らを持ち出すことによって自分たちの要求を通すことを覚えてしまった。乃木将軍の作戦の失敗を覆い隠すため、203高地に突撃する兵隊を神格化して、自分の命を投げ出すことを日本的美化してしまった。国のため天皇のためという名の下に突き進んでいくのである。(写真は東郷平八郎)

山本七平氏のいう『逆らえない空気』
(注1)のなかで全てが決定していく幻想の社会が生まれたのである。司馬遼太郎氏は、『坂の上の雲』の続編で明治大正、昭和と描いていこうと構想があり取材を進めていたが、陸軍の参謀達(第二次世界大戦・日本的には太平洋戦争)を取材したときに、あまりに稚拙な幻想の中にいる彼らを見て怒りに打ち震えたそうである。こんな奴らに兵士は殺され、国が滅びたと考えたとき、続編を書く意欲を失ったという。(注1)『空気の研究』山本七平著 文春文庫 1983年

私も、日本軍とソ連軍が戦った「ノモンハン事変」の際、スターリンがどう考えていたか、「スターリンメモ」を元にしたNHKのドキュメントを見たが、当時の関東軍の無知と隠蔽体質に怒りを覚えた。スターリンが日本軍を徹底的にたたくため、優秀な将軍と圧倒的な機械化部隊を投入するのに対し、「不滅の関東軍」というスローガンだけで、小火器だけの兵隊を送り込んだのである。彼らに、爆弾を抱き戦車に飛び込ませたのである。あまりに戦死者が多く、批判を恐れた関東軍はノモンハン戦そのものを隠蔽してしまった。下の写真は、擱座したソ連戦車の前を匍匐前進する日本兵である。(ウィキペディア)

  情報を集め分析して戦うという軍事基本も捨て、自分の都合(敵を分析せず)だけで戦う陸海軍になっていた。特に、陸軍にその傾向は強いと思われる
。陸軍における無謀なインパール作戦。海軍の戦艦大和の沖縄特攻作戦、3000人の乗組員で沖縄に行き、最後は浜辺に擱座して砲台とする、作戦の体をなさない何もない。陸軍の特攻作戦に対する海軍の無謀な特攻戦争である。

 最後には関東軍参謀本部は、ソ連軍参戦を満州の人々に知らせず、自分たちだけで逃げ出してしまった。また、参謀本部は本土決戦という「一億総力戦」を考え出した。それは「敵を日本本土に上陸させ、ゲリラ戦で殲滅する」という暴挙まで考え出したのである。私も実際に、当時の参謀本部の生き残りに会ったことがある、彼がまじめに『本土決戦で内陸に誘い込み叩けば、充分に勝機があった』と言うことを聞いたとき、司馬遼太郎氏が怒りにふるえた実感が理解できた。

中世の織田信長は暴君であったかも知れないが、浅田長政の反乱に遭い絶体絶命の危機の時、兵を集め、このようなことを言った『俺は逃げる、皆も逃げろ、武器など捨てて命からがら逃げろ、命こそ大事にしろ』。おそらく、このような事を言った人物は、歴史上に信長だけではないか。この時、しんがりの敵を防ぐ役目を買って出たのが秀吉である。計算だけでない命を賭けた決断がある。(司馬遼太郎語る)

2005年7月の国会郵政法案の採決でも、自民党員の議員が公約に反して反対にまわったが、おかしい、自民党を出て反対すべきである。命を賭けて反対するならば脱党すべきである。議員さんの好きな坂本龍馬でさえ、国(藩)を捨て1人で立ち上がった、その後、同士と共に反対すればよい。そうすれば廃案に出来たであろう。選挙民なためだとか、中に残り反対するなど格好を付けているが、所詮、太平洋戦争の軍部と同じである。
 
  国を思い『廬溝橋事件』(1937年)を起こした軍人と同じである。国を思うと言う隠れ蓑に隠れてはならない。中国人の愛国無罪と同じである。彼等がいうように正しければ総選挙は国民の支持が得られる絶好の機会ではないか。
 第二次大戦の兵隊は、自分の命より歩兵銃が大事と教えられ死んでいった。歩兵銃が示す国体護持(天皇制)を護るように教えられていた。体制を護る、今もこの流れは続き、企業を存続させるため隠蔽が行われ、あばかれて企業の危機に陥っている事件が後を絶たない。(私見)

2011年8月、NHKのドキュメントを見ていたら、長崎に向かう特殊任務のB29爆撃機一機の発信を傍受したという、広島に原爆を落とされたときと同じと判断した無線傍受の責任将校は、その報告を最高司令部に上げたが、戦闘機の迎撃の命令は出なかったという。迎撃戦闘機のパイロットは『5時間も前に分かっていたなら何故出撃命令を出さなかったのか……』と語っている。

 広島の時にも特殊任務の、おそらく偵察任務と判断した軍は、空襲警報を出さなかった。空襲警報さえ出しておれば、防空壕や建物に避難して被害はもっと少なくできたと言われる。
 
柳田邦男氏も『高射砲部隊もB29を補足くしていた、1万メートルに届く高射砲があったのに砲撃しなかった。その高射砲の存在をアメリカに知られるのを防ぐため砲撃しなかった』と書かれている。どちらの現場の軍人は一生の間、心の重荷になったという。
 最高指導部は保身のための会議をしていた。悪い指導部と分かったら、即入れ替えるべきである、様子見をしている内に最悪の結果を招く、歴史に学ばねばならない。
日本人は隠蔽体質を脱却出来るであろうか。

前のページ  次のページ  扉に戻る