●10月27日 氷川神社へ行幸の日、東京市民一同へ酒を下賜される発表があった。宮中より元酒として23樽が下され、これに政府が酒樽を加え大町(百軒以上)には3樽、中町(50軒以上)には2樽、それ以下の小町には1樽、総数で2563樽(2990樽とも言われる)であった。1700匹のスルメもつけられたらしい。
錦絵に見られるように町の代表が樽を受け取り、幟や旗で飾り、鉦や太鼓で囃子ながら町内に帰っていった。11月6〜7日、この酒を皆で頂いた、屋台や飾り車も出て家業を休んだ東京市民で祭りのようになった。江戸幕府消滅以来うち沈んでいた人に始めて明るい気分がやってきたのである。江戸幕府の瘧が落ちたようになった。
この時の東京市民とは、江戸幕府が定めた朱引内の町であり、今の皇居あたりから下町あたりのかなり狭い範囲を言う。
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