新田義興ゆかりの頓兵衛地蔵と蓮光院の武家屋敷門
地蔵写真地蔵写真
『頓兵衛地蔵』について……
 新田義興謀殺の舟の船頭であったと、『神霊矢口渡』にあるが伝説の域を出ない。頓兵衛は前非を悔い、地蔵をたて義興の冥福を祈ったという。これがその地蔵堂である。中には砂岩で出来た地蔵があり、『とろけ地蔵』とも呼ばれる。高さ70センチ、舟形光背をもつ地蔵菩薩立像である。旧多摩川はこの地蔵堂の裏手を流れていたという。場所は多摩川線「武蔵新田駅」から線路沿いに光明寺方向に200メートルほどにある。
地蔵堂内の『頓兵衛地蔵』
 
前掛けは誰かが掛けたいたずらのような酷い物。砂岩で出来ているので顔は崩れてしまっている。目や鼻はない、古くは地蔵堂がなく地蔵にさわるとイボが取れるとの民間伝承があり、顔が触られ崩れたのではないか。
武家屋敷写真

『蓮光院の武家屋敷門』大名屋敷門の謎・詳細

江戸時代後期の武家屋敷門、明治31年(1898)に馬込中丸の河原家が芝の毛利家から譲り受け、表門として使っていたが、昭和10年(1935)頃当院に移築された。5万石までの大名の格式を持つ武家屋敷門である。他にも説があり、備前岡山藩池田家の下屋敷にあったものともいわれている。今後の研究が待たれる。
(所在地、下丸子3-19-7)


 蓮光院は新田義興謀殺の時、討ち死にした従臣3名の供養地蔵3体が祭られている。このように付近には新田義興謀殺に関連した伝承が数多く存在する。

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