武蔵野台地南端の湧水が造る池……洗足池と千束の由来

洗足池写真
写真写真写真

洗足池又は千束池について……
  洗足池は湧水池で、主たる水源は一キロほど離れた目黒区境の清水窪湧水だと言われる。洗足池の名前の由来は、弘安5年(1282)見延山を出発した日蓮上人が池上に向かう途中、ここで足を洗った伝説による。しかし、これは後の伝承であるらしい。日蓮が袈裟を掛けた松が史跡『袈裟懸けの松』となっている。この伝承は、御松庵(杉並区堀之内 妙法寺の隠居寺)の住職が生み出した話らしい、江戸期天保か嘉永時代頃と言われる。大正12年(1923)目蒲電車開通により、鉄道会社がこの伝説をPRしたため「洗足池」と言う名前が広がった。(「史話40号」―座談会「地域の変遷を語る」―)今でも地元の人には馴染みの名は「千束」である。(注)清水窪湧水、北千束1-26 大田区文化財

千束郷について……
『日蓮上人の文章には、千束郷池上とあり、また、馬込の小名にも千束とあって、千束郷の名残と見られ、いわゆる千束郷の名は、浅草寺のそれと同じく、ここの池上本門寺に対する千僧供料(せんそうくりょう)の免田の意であろうと言われている』。(『武蔵野の地名』中島利一郎著 新人物往来社刊 1976年)
また別の説では、稲十把を束ということから名前が付いた。(『消えてゆく東京の地名』本間信治著 自由国民社刊 昭和62年(1987)


観音写真江戸名所図絵
写真は、馬頭観世音菩薩の座像。天保11年(1840)道標を兼ねている。元は中原街道に建てられていた。台座は道標になっており、「東 江戸中延 西 丸子稲毛 南 池上大師道 北 堀之内碑文谷道」と刻印されている。 馬頭観音は北千束3-22-10

千束の大松(袈裟掛松)…江戸名所図会
千束八幡には、5人でも抱えきれないぐらい大きな松があった。樹齢1000年、高さは30メートルに達し遠くからも見えたと言われる。
川瀬巴水と高橋松亭が描く洗足池
現代版画現代版画
左の写真 拡大写真  川瀬巴水解説
右の写真は日蓮が袈裟を掛けたという「袈裟掛松」。石碑と小さな祠がある。この石碑は日蓮聖人550年遠忌のものらしい。
高橋松亭(弘明)の新作版画「千束の池」明治42年(1909)から大正12年(1923)
現代版画
川瀬巴水、「洗足池乃残雪」昭和26年(1951) 渡邊木版美術画舗蔵 
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   川瀬巴水解説
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