栗本丹州(通称・瑞見)の描く図譜 鯨(勇魚・クジラ)

 栗本丹州とは……名前は昌蔵(まさよし)、通称・瑞賢。
  栗本丹州は、江戸中期から後期にかけて活躍した御医師である。宝暦6年(1756)7月27日、田村藍水の次男として生まれる。寛政2年(1790)に法眼に序せられる、文政2年(1819)に最高位法印となる。天保5年(1854)3月25日死去、79才。

  彼は幕府医官栗本昌友の養子となり、寛政元年(1789)幕府の奥医師となり幕府の医学館(注)でも本草学を教える。日本で最初の昆虫図鑑『千虫譜』を作る、その転写本も多いが原本(自著)は文化8年(1811)と考えられる、これは国立国会図書館に収蔵されており、 同館には5冊の転写本がある、数多くある転写本の中で最良な状態であると言う。他図書館・資料館にも転写本がある。同館の解説には『幕医久志本左京(号・緑い軒[りょくいけん])の依頼で博物画の名手服部雪斎が写したもので、底本はおそらく丹洲の原本。所収数は645で、原本のほぼ全てであろう。〔国立国会図書館『参考書誌研究』44号、『栗氏千虫譜』解題参照(磯野直秀)〕』とある。おそらく死ぬ間際まで追加して描き続けられたらしい。
  江戸時代の虫の概念は昆虫だけでなく、クモ、ムカデ、クラゲから両生類まで、また、カッパなどと言う摩訶不思議なものまで含んでいた。〔注)江戸幕府が寛政3年(1791)に神田佐久間町に開設した漢方医学校である。

 栗本丹州の描く鯨(クジラ)の色々……



「五島鯨 ゴンドウクジラの別名」クジラとして最も小型、2メートルから5メートルほどである。頭部が大きく太鼓のようなので名付けられた。東京国立博物館蔵 葛飾北斎の『千絵の海』にも五島列島の鯨漁がある。



「アカボウ鯨(赤坊鯨)」中型の鯨で6メートルから7メートルである。実際の色は、濃い灰青色か赤褐色であるという。胸びれは小さく、高速で泳ぐときは収納される。近年の研究では、鯨の中でも深く潜れ、300メートルの深海を2時間以上滞在したという。東京国立博物館蔵


「兒クジラ・コクジラ」小型のクジラ、年を経ると全身にフジツボ、エボシガイ、クジラジラミなどを付着させるためまだら模様に見える。外洋に出ることはなく沿岸を回遊する、その距離は2万キロにもなるという。東京国立博物館蔵



「鰯クジラ」体長18メートルにもなる大型の鯨。鰯の群れと一緒にいることが多いため名付けられた。背と腹の境はねずみ色で波形や不規則なぼかし模様を呈する。 東京国立博物館蔵 


「座頭鯨 ザトウクジラ」体長11から16メートル、中型30トンほどの鯨。体長の3分の1にもなる背びれが特長である。また、ブリーチングと言われる大きなジャンプをする、寄生虫を落とすためと言われるが判らない。東京国立博物館蔵



「サカマタ鯨 鯱(シャチ)」獰猛である、この絵は若いときの高野長英が描いたと言われる。背びれは大きく、2メートルにもなる、この背びれを出して泳ぐ、イルカの仲間である。東京国立博物館蔵 



「背美鯨 セミクジラ」体長13〜18メートル、頭部は全長の四分の一を占めるほど大きい。背びれはない、口は大きく湾曲して最大2メートルほどのクジラヒゲが生えている。沿岸性であり、温和しいと言われる。鯨油が多いため乱獲さてたようである。東京国立博物館蔵 



「長須鯨 ナガスクジラ」体長20〜26メートル、スマートな細長く、濃いグレイの背面と腹は白色、世界中に分布する。他の鯨と童謡に絶滅危惧種である。東京国立博物館蔵 

トップ扉に戻る   図譜目次に戻る